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その他 能楽外縁観測第1部 7. 世阿弥の著作物  <序破急理論など所載>

2020-12-21

① 世阿弥の著作物

 世阿弥の序破急理論が「風姿花伝」等に述べられていることは、既に「能楽」外縁観測4で紹介しましたが、先ずは世阿弥の著作物についての概要を紹介します。
 世阿弥の著作の第一は約50曲と言われる「能本」ですが、ここでは、それ以外について扱います。世阿弥の伝書は約20種といわれています。その中心が最初に著述された「風姿花伝」で、世阿弥の能楽論が体系的に述べられています。その後の著作は、花伝の応用編であり、また精緻を深めた理論となっています。

 世阿弥は南北朝(1333~1392年)中期の貞治2年=1363年に生まれ、室町(1392~1573年)前期の嘉吉3年頃=1443年頃に81才で没しました。父の観阿弥が亡くなって観世大夫を継承したのは、若干21才頃でした。最初に書いた伝書が「風姿花伝」です。

「風姿花伝」は全7編から成っていますが、第1~第3は世阿弥38才の応永7年=1400年までには成立していました。この前年の応永6年には、義満将軍(在職1368-1394)臨席の能興行に3回も出演しており、世阿弥の言葉で「天下の許されを得た」時期となります。まさにこの時に能を後代に伝えるために最初の能楽論を仕上げたのです。父の教えをもとに執筆したと記していますが、自身の経験と研究の成果であることは明白です。
第4~第7は順番に書かれたのではなく、他の著作を仕上げる過程で前後したり、推敲して完成度を上げたり、相伝する相手によって書き換えたりしたようです。最終的には「第5奥義」が最も遅くて、応永26~29年=1418~1422年(55~59才)に全7編が完結したと思われます。

なお、この第4~第7はそれぞれ独立した書として扱われることがあり、特に第7の「別紙口伝」は、元次(世阿弥の嫡男元雅の初名)相伝本と通称されて、別編として扱うのが主流となっています。

最初の著作である「風姿花伝」は、その後に展開される能楽論の基本・総論であり、年齢に応じた稽古の心得、役に応じた演じ方、能興行の成功法、能の歴史、能の作り方などを詳述しており、「花」の美しさ、珍しさを追求して、後代への伝承を託しているのです。その幅広さ、奥行きの深さを感じて頂くために、記述の項目だけを掲げます。


「風姿花伝」著述項目

序言:申楽歴史、稽古心得。
第1.年来稽古条々:7才、17・8才、24・5才、34・5才、44・5才、50有余。
第2.物学(ものまね)条々:序、女、老人、直面(ひためん)、物狂(ものぐるい)、法師、鬼、唐事(からごと)、結尾。
第3.問答条々:ⅰ.座敷の吉凶、ⅱ.序破急、ⅲ.申楽の勝負と立会に勝つ事、ⅳ.若き為手の立会に勝つ事、ⅴ.能に得手得手(えてえて)、ⅵ.位(くらい)の差別、ⅶ.文字に当たる風情、ⅷ.しほれたる風体、ⅸ.花の段、跋文・奥書。
第4.神儀:申楽神代の始まり、仏在所には、日本国においては、平の都にしては、当代において、春日・日吉・法勝寺諸神事参勤申楽座名。
第5.奥義:風姿花伝の書名由来、和州・江州の芸風、能の名望を得る事、風体の形木と弱気シテ、衆人愛敬と寿福増長、跋文。
第6.花修:能の本を書く事、作者の思ひ分くべき事、能のよき・悪しきにつけての相応、結尾。
第7.別紙口伝:花を知る事、細かなる口伝、物まねに似せぬ位(くらい)、能に十体(じってい)を得べき事、能によろず用心を持つべき事、秘する花を知る事、因果の花を知る事、そもそも因果とて、跋文。


② 世阿弥伝書一覧

以下に、世阿弥の著作一覧をその成立年及び内容概要と共に掲げます。年齢は目安として示しました。
但し、世阿弥が還暦を迎えて大夫を嫡男の元雅に譲って出家したのを機会に、次男の元能が父の芸談として筆録した「申楽談義」は世阿弥の著作ではありませんが、内容的にも世阿弥の説を具体的に補強しており、当時の能楽にかかわる世の中の事などが記されて、資料的価値も高いので伝書の一つに加えるのが妥当とされています。
また、世阿弥の娘婿の金春禅竹宛書状など、能楽論から外れるものもありますが、いわゆる世阿弥伝書の全てを掲出するために載せました。

一般に世阿弥の伝書は約20種とされていますが、既に見たように「風姿花伝」の第4~第7のどれとどれを花伝から独立した書物と見るかで、総数は22~26種となります。(花伝第7別紙口伝を相伝相手と伝存状況の違いなどから、別個の書籍とすればさらに1種増加します。)

世阿弥伝書の研究は、新潟市阿賀野市出身の吉田東伍が、明治42年=1904年に「世阿弥十六部集」を刊行した時から始まります。今からわずかに約100年前のことです。(阿賀野市保田[やすだ]に「吉田東伍記念博物館」があります。)
各伝書の相伝状況や伝存・発見過程なども興味あるところですが、省略します。

各文書の大体の分量を示すため表の頁欄に、岩波書店・日本思想体系24「世阿弥・禅竹」(1974年・校訂:表章、加藤周一)における本文掲載の頁枚数を参考として入れました。年月は奥書のないものや、奥書が後の世の人による加筆が疑われるものなどがあり、正確を期しがたいとされていますが、前後関係などからあえて推定して載せた部分があります。年齢も概略を示すために添えたものです。

1. 風姿花伝 52P (能楽論の総体)
 第1~第3 24P 1400年4月 37才
 年齢段階別稽古法、役に応じた演じ方、
 能興行の成功法
 第4~第7 28P 1422年以前 58才以前
 能楽の歴史、風姿花伝の目的、
 能の作り方、花の追求等
2. 花習修内抜書かしゅうのうちぬきがき
  4P 1418年2月 54才
 内題に「能に序破急の事」とあり、
 「風姿花伝」第3で述べた、
 序破急理論の応用編
3. 音曲口伝 8P 1419年6月 56才
 謡うたいの発声法、一調二機三声など
 音曲理論
4. 至花道 8P 1420年6月 57才
 至高の芸の本質を説き、
 そのための修行法を詳説
5. 二曲三体人形図 
  11P 1421年7月 58才
 9種の絵を入れて、
 役柄に応じた演技法を詳説
6. 三道 11P 1423年2月 60才
 風姿花伝第6の「能の作り方」を
 体系的・精緻に展開
7. 花鏡 26P
  1418年2月~1424年6月 54~61才
 生涯の稽古論の詳細
 初心忘るべからずなどを含む名著。
 40才過ぎから20年にわたって書き
 溜められた生涯の稽古論の詳細。
 各編は早くに書かれ、応永25年=
 1418年・55才頃にはほぼ出来あが
 っていたと思われ、仕上がりが
 1424年頃になったと考えられる。
8. 曲附次第ふしづけしだい 9P
  1420~1422頃 58才頃
 作曲方法を音韻、音律、拍子、
 声の位くらい、祝言謡しゅうげんうたい、
 曲舞謡くせまいうたい、息づかい・
 文字移り・発声などから詳説。
9. 風曲集 5P 1423年頃 60才頃
 作曲法の「曲付ふしづけ次第」の要約
10. 遊楽習道風見ゆうがくしゅどうふうけん
  6P 1421年頃~1427年頃
  58才頃~64才頃
 生涯に渡る芸道を修めるにも序破急。
 童の幽姿、少年の舞・謡を妙花へ導く
11. 五位 3P 1425年頃 62才頃
 5種類の芸風・芸位を詳説。
12. 九位 4P 1428年以前 64才以前
 9段階の芸位から、美を求める
 修道論(禅竹の所望)。
13. 六義りくぎ 3P 1428年3月 64才
 「九位」を和歌の六義(風賦比與
 雅頌)で解説。
14. 拾玉得花しゅうぎょくとっか 13P
  1428年6月 65才
 これまでの能楽論の粋を集めて
 金春禅竹に相伝した。
 単なる寄せ集めではなく、
 更に探求した結果を反映。
15. 五音曲条々 7P 1432年頃 69才頃
 祝言、幽曲、恋慕、哀傷、闌らん曲
 の謡うたいを詳説。
16. 五音 27P 1432年頃 69才頃
 曲名を例示して謡い方を詳説。
 能作者検討の第1級資料
17. 習道書しゅどうしょ 7P
  1430年3月 66才
 座の和合、棟梁中心、囃子方・
 狂言方などに言及。
18. 夢跡一紙 2P 1432年9月 69才
 嫡男元雅が享年33才で客死しての、
 嘆きの追悼文
19. 却来華 3P 1433年3月 69才
 嫡男元雅早世により口伝した却来風
 を、金春禅竹に相伝。
20. 金島書 8P 1436年2月 72才
 佐渡配流の道中や配所の様子や、
 7つの謡の小謡。
21. 世子ぜし60以後申楽談義 55P
  1430年11月 67才
 世阿弥の芸談を次男元能が筆録。
 風姿花伝などで述べたことの、
 具体例を詳説。当時の能楽や社会の
 様子を描く第一級資料。
22. 金春大夫宛書状 4P 1435年頃
  72才頃 金春禅竹宛2通 近江・
 丹波の能や鬼能について等を説く。

次の項目など、引き続き「能楽外縁観測第1部」をご覧になる場合は「謡曲の統計1」から進んで下さい。

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