① 世阿弥の著作物
世阿弥の序破急理論が「風姿花伝」等に述べられていることは、既に「能楽」外縁観測4で紹介しましたが、先ずは世阿弥の著作物についての概要を紹介します。
世阿弥の著作の第一は約50曲と言われる「能本」ですが、ここでは、それ以外について扱います。世阿弥の伝書は約20種といわれています。その中心が最初に著述された「風姿花伝」で、世阿弥の能楽論が体系的に述べられています。その後の著作は、花伝の応用編であり、また精緻を深めた理論となっています。
世阿弥は南北朝(1333~1392年)中期の貞治2年=1363年に生まれ、室町(1392~1573年)前期の嘉吉3年頃=1443年頃に81才で没しました。父の観阿弥が亡くなって観世大夫を継承したのは、若干21才頃でした。最初に書いた伝書が「風姿花伝」です。
「風姿花伝」は全7編から成っていますが、第1~第3は世阿弥38才の応永7年=1400年までには成立していました。この前年の応永6年には、義満将軍(在職1368-1394)臨席の能興行に3回も出演しており、世阿弥の言葉で「天下の許されを得た」時期となります。まさにこの時に能を後代に伝えるために最初の能楽論を仕上げたのです。父の教えをもとに執筆したと記していますが、自身の経験と研究の成果であることは明白です。
第4~第7は順番に書かれたのではなく、他の著作を仕上げる過程で前後したり、推敲して完成度を上げたり、相伝する相手によって書き換えたりしたようです。最終的には「第5奥義」が最も遅くて、応永26~29年=1418~1422年(55~59才)に全7編が完結したと思われます。
なお、この第4~第7はそれぞれ独立した書として扱われることがあり、特に第7の「別紙口伝」は、元次(世阿弥の嫡男元雅の初名)相伝本と通称されて、別編として扱うのが主流となっています。
最初の著作である「風姿花伝」は、その後に展開される能楽論の基本・総論であり、年齢に応じた稽古の心得、役に応じた演じ方、能興行の成功法、能の歴史、能の作り方などを詳述しており、「花」の美しさ、珍しさを追求して、後代への伝承を託しているのです。その幅広さ、奥行きの深さを感じて頂くために、記述の項目だけを掲げます。
「風姿花伝」著述項目
序言:申楽歴史、稽古心得。
第1.年来稽古条々:7才、17・8才、24・5才、34・5才、44・5才、50有余。
第2.物学(ものまね)条々:序、女、老人、直面(ひためん)、物狂(ものぐるい)、法師、鬼、唐事(からごと)、結尾。
第3.問答条々:ⅰ.座敷の吉凶、ⅱ.序破急、ⅲ.申楽の勝負と立会に勝つ事、ⅳ.若き為手の立会に勝つ事、ⅴ.能に得手得手(えてえて)、ⅵ.位(くらい)の差別、ⅶ.文字に当たる風情、ⅷ.しほれたる風体、ⅸ.花の段、跋文・奥書。
第4.神儀:申楽神代の始まり、仏在所には、日本国においては、平の都にしては、当代において、春日・日吉・法勝寺諸神事参勤申楽座名。
第5.奥義:風姿花伝の書名由来、和州・江州の芸風、能の名望を得る事、風体の形木と弱気シテ、衆人愛敬と寿福増長、跋文。
第6.花修:能の本を書く事、作者の思ひ分くべき事、能のよき・悪しきにつけての相応、結尾。
第7.別紙口伝:花を知る事、細かなる口伝、物まねに似せぬ位(くらい)、能に十体(じってい)を得べき事、能によろず用心を持つべき事、秘する花を知る事、因果の花を知る事、そもそも因果とて、跋文。
② 世阿弥伝書一覧
以下に、世阿弥の著作一覧をその成立年及び内容概要と共に掲げます。年齢は目安として示しました。
但し、世阿弥が還暦を迎えて大夫を嫡男の元雅に譲って出家したのを機会に、次男の元能が父の芸談として筆録した「申楽談義」は世阿弥の著作ではありませんが、内容的にも世阿弥の説を具体的に補強しており、当時の能楽にかかわる世の中の事などが記されて、資料的価値も高いので伝書の一つに加えるのが妥当とされています。
また、世阿弥の娘婿の金春禅竹宛書状など、能楽論から外れるものもありますが、いわゆる世阿弥伝書の全てを掲出するために載せました。
一般に世阿弥の伝書は約20種とされていますが、既に見たように「風姿花伝」の第4~第7のどれとどれを花伝から独立した書物と見るかで、総数は22~26種となります。(花伝第7別紙口伝を相伝相手と伝存状況の違いなどから、別個の書籍とすればさらに1種増加します。)
世阿弥伝書の研究は、新潟市阿賀野市出身の吉田東伍が、明治42年=1904年に「世阿弥十六部集」を刊行した時から始まります。今からわずかに約100年前のことです。(阿賀野市保田[やすだ]に「吉田東伍記念博物館」があります。)
各伝書の相伝状況や伝存・発見過程なども興味あるところですが、省略します。
各文書の大体の分量を示すため表の頁欄に、岩波書店・日本思想体系24「世阿弥・禅竹」(1974年・校訂:表章、加藤周一)における本文掲載の頁枚数を参考として入れました。年月は奥書のないものや、奥書が後の世の人による加筆が疑われるものなどがあり、正確を期しがたいとされていますが、前後関係などからあえて推定して載せた部分があります。年齢も概略を示すために添えたものです。




