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その他 「能楽」外縁観測第1部 9-1 「謡本」に関わる年表 (明治の前まで 603~1868)

2021-01-21

「能楽」外縁観測 9-1  「謡本」に関わる年表  (明治の前まで 603~1868)                  



記述内容
・1880年以前の謡本に関係ある事項を、各種文献より引用抜書きした。
・古謡本に係る事項等は観世に限定しないで引用した。
・謡本に関係深い観世大夫、歴史的事項等も記述した。

記号別引用文献 (文献概要後記)
◎花傳=財団法人観世文庫年報「花傳」
 Vol. 3、4(1996.3.31、1999.3.31発行) 「観世」中心の能楽史年表(表章編)
*全書=総合新訂版能楽全書 全7巻
野上豊一郎編集、昭和17年初刊、54年新訂版西野春雄解題付補注
△大観=重版謡曲大観影印版 全7巻
佐成謙太郎著、昭和5年初刊、28年複刊、38年重版、57年影印
☆評釈=世阿弥十六部集評釈 全2巻
能勢朝次著、昭和15年上巻、19年下巻、24年上巻増補、44年刷
引用文献を個別に後記。
引用文への付記は、( )書きとした。

603推古11
◎花傳 〔11月〕秦河勝聖徳太子愛蔵の仏像を拝領して蜂岡寺(太秦寺・広隆寺)を建立[日本書記]。後代の猿楽はこの秦河勝を芸祖と仰ぐ。
 905 延喜5
*全書 古今和歌集成立。後代の謡曲の好素材となる。巻2P342
1007 寛弘4
*全書 この頃源氏物語成る。巻2P342
1185 元暦2
◎花傳 〔2月〕平家滅亡。*1185文治1平家滅亡。後に源平の武将、能の好素材となる。巻2P342
1205 元久2
*全書 新古今和歌集成る。しばしば謡曲に引用される。巻2P343
1333元弘3
◎花傳 〔5月〕鎌倉幕府滅亡。
◎花傳 〔此年〕初代観世大夫清次(観阿弥)生れる[逆算]。山田猿楽美濃大夫の養子の三男で兄が宝生大夫と生市[談義]
1364 貞治3
◎花傳 〔此年〕二世観世大夫元清(世阿弥)生れる[談義から逆算]。一説では前年[不知記から逆算]。通称三郎(藤若、至翁、善芳とも)。弟が四郎。
*全書 観阿弥この頃(前年頃)に結崎座を創立したか。巻2P344
1384 至徳1
◎花傳 〔5.19〕観阿弥清次、駿河で没。52才。直前に浅間神社で法能楽を舞う。[花伝・常楽記]
☆評釈 観阿弥没。世阿弥22才  上巻P4  (満年令では20~21才か。)
1398応永5
◎花傳 〔此年〕三世観世大夫三郎元重(後の音阿弥)生れる。[諸資料より逆算]。世阿弥の弟四郎の子。始め世阿弥の養子か。
1400応永7
◎花傳 〔4.13〕『風姿花伝』第三までの原形(旧名は「花伝」)成る。奥書は秦元清名義[同書]
☆評釈 『花伝書(風姿花伝のこと)』 年来稽古條々、物学條々、問答條々の3編成る。上巻P3   
1402応永9
☆評釈 『花伝書』神儀、奧儀の2編書かれる。花修、別紙口伝の2編も成立か。世阿弥40才。花伝書7編は亡父の庭訓を録したもの…、観阿弥の意見の祖述と考えてよいかと思う。 上巻P4
1405応永12
◎花傳 〔此年〕金春氏信(禅竹)生れる。[本人の年齢書きから逆算]。後に世阿弥の女婿。金春流の事実上の祖。
1414応永21
◎花傳 〔閏7.11〕世阿弥、能本〈難波梅〉を書写。年記を前年に誤る[同書奥書]。9巻現存する世阿弥自筆本の中で最も早く、日本最古の演劇台本。観世文庫蔵。
1418応永25
◎花傳 〔2.17〕世阿弥、『花習内抜書』を書く[同書奥書]。弟四郎(3世音阿弥の父)に相伝か。
◎花傳 〔6.1〕世阿弥、『花伝第七別紙口伝』(改訂本)を元次=元雅(=世阿弥の長男十郎。越智観世の祖。1432永享4?没35才) の幼名か)に相伝[同書奥書]。『花伝』の第六・第七の成立は応永十年代か。
1419応永26
◎花傳 〔6月〕世阿弥、最初のまとまった音曲伝書『音曲口伝』を著述[同書奥書]。
☆評釈 〔6月〕音曲声出口伝*、成立。但し、少なくとも「一調二機三声」の條は、応永25年2月成立の花修より採って本書に加えたもの。 下巻P3 (発見過程は1913大正2の項参)
1420応永27
◎花傳 〔6月〕世阿弥、『至花道』を著述[同書奥書]。この頃から世阿弥の主題別伝書激増。
☆評釈 至花道書、世阿弥58才で成立。花伝書や花鏡に於いて微細に亘って説いた所を、極めて巧妙にまとめたものと云え、妙花を開くべき事の熱意を感ずる。上巻P735
1421応永28
◎花傳 〔6月〕世阿弥、『二曲三体人形図』を著述[同書]。『花鏡』もそれ以前に成る。五巻本『風姿花伝』(「花伝」の増訂版)の成立もこの頃か。 ( ☆では7月。上巻P276)
☆評釈 花鏡は、吉田東吾博士の十六部集(1909明治42参)では覚習條々として収められていた。但し、最初の3條(一調二機三声、動十分心動七分身、強身動宥足踏強足踏宥身動)が缺けたものであった。 世阿弥62才で完成。内容は40才以後に自得した所のものであり、且つ比較的長い期間に亘って漸次に整備せられた。上巻P275276
☆評釈 二曲三体人形図は原本表紙の題で、本文中は二曲三体繪図とあったので吉田東吾博士は本文の名称を以て十六部集に収めた。 至花道書の「二曲三体事」の詳細な説明で、別紙口伝とも云うべきもの。 上巻P483
1423応永30
◎花傳 〔2.6〕世阿弥、『三道』を息男七郎元能(もとよし次男か)に相伝[同書奥書]。『曲付次第』、『風曲集』、『遊楽習道風見』等も前後して成立。『風曲集』は書名を仙洞御所(後小松院)から頂戴。(「三道」は能作について、「曲付次第」は節付けについて、「風曲集」は音曲の習道についての伝書。風曲集については、1428応永35参」
☆評釈 〔2月〕世阿弥、能作書・三道のこと を書く。謡曲の書き方についての秘伝書。謡曲を作る点から言えば、世阿弥は天才である。彼以前に世阿弥に匹敵するほどの作者なく、彼以後に於ても世阿弥に及び得るだけの作者はない。今日も尚行われている謡曲の著名なものは、殆んど皆世阿弥の作った曲であると言っても差支ないほどである。 上巻P587 (第6「新作の範」の項に能作の実例を示しており、能作者付けの資料ともなる。)
☆評釈 この頃、曲附書(ふしづけしょ=曲附次第のこと)成立。 下巻P43
☆評釈 遊楽習道見風・風見の逆 は花鏡や至花道書の所論と、九位次第の所論の中間を往く気味が感じられる。論旨は誠に深奥幽玄で、短編とはいふものの頗る読みごたえのある伝書である。 上巻P511
1424応永31
◎花傳 〔6.1〕世阿弥、『花鏡』(『花習』の改訂増補本)の奥書を加え[同書]、息男十郎元雅(前出1418参) に相伝[観世文庫本『四季祝言』元能注記]。
◎花傳 〔9.20〕世阿弥、能本<江口>を書写して金春(氏信)に相伝。続いて<盛久・タダツ・雲林院・柏崎・弱法師>も書写。[各巻奥書]
1427応永34
◎花傳 〔10月〕世阿弥、能本<松浦>を書写。翌月<阿古屋松>、翌年2月<布留>を書写[各巻奥書]。弟四郎かその子の三郎に相伝か。三巻とも観世文庫蔵。
☆評釈 九位次第この年以前に成立か。難解で禅的表現。 上巻P545546
1428応永35
◎花傳 〔3.9〕世阿弥『六義』を金春大夫(氏信)・禅竹 に相伝[同書奥書]。世阿弥伝書『五位』、『九位』も相次いで成立。
☆評釈 世阿弥、六義を金春禅竹に伝授。六義は昭和16年に川瀬一馬氏によって発見された。禅竹に伝授されたと認める事も可能であるが、他の世阿弥の秘伝書に比べて、甚だしく見劣りがする事と、その説が牽強にすぎる点から、世阿弥作について疑念を払拭せしめない所である。 上巻P675~677
☆評釈 応永末年頃、遊楽芸風五位、成立。五位も川瀬一馬氏によって発見された。世阿弥の著述と断言出来ると思う。妙風、感風、意風、見風、声風の五位を立て、達人の芸風の特色を物語ったと見る。 上巻P701
☆評釈 応永末年頃、風曲集、成立か。音曲の習道を説く。 下巻P99 ・1423応永30参
1428正長1
◎花傳 〔6.1〕世阿弥、『拾玉徳花』を金春大夫(氏信)・禅竹 に相伝[同書奥書]。
1429永享1
☆評釈 五音上下2巻は、観世宗家に伝えられた伝書であって、昭和5年に片山博通氏(後の観世24世宗家左近元滋=清久の弟)が発見、昭和7年に観世宗家から能楽資料叢書第2篇として、コロタイプ版で出版された。五音曲條々の姉妹篇であり、同時代の永享初年頃成立か。下巻P189
1430永享2
◎花傳 〔3月〕世阿弥、、座主の心得を説いた『習道書』を著述[同書奥書]。音曲伝書『五音』『五音曲条々』もこの前後に成立。(「五音」では、世阿弥以外の作者名が記されており、作者名なしの曲は世阿弥作作を示すとされ、謡曲作者付けの第1級資料とされている。)
☆評釈 〔3月〕習道書著述。特徴は座衆全般を対象にそれぞれの役者の心得を記す。下巻P243
☆評釈 五音曲條々は、永享2年の申楽談儀が書かれる前で、応永以後に作られたか。下巻P132
◎花傳 〔11.11〕観世七郎元能・モトヨシ世阿弥の次男、妹が金春禅竹妻 父の芸談を編集して『世子六十以後申楽談義』にまとめ、それを形見に残して出家遁世。〔談義奥書〕
☆評釈 〔11月〕申楽談儀は、世阿弥晩年の能楽雑談を、次男、元能が聞書として1巻にまとめ、出家に際し何人かに送ったものである。兄の元雅に送ったとも想像せられる。内容豊富で具体的事例が記され、花伝書と並んで重要なものと評せられる。下巻P285~288 
1432永享4
☆評釈 〔8.1〕世阿弥、70才で後継者の嫡男、元雅を伊勢興業中に安濃津で失う。下巻P655
☆評釈 〔9月〕夢跡一帋は、世阿弥が嫡男元雅を失い、悲歎と絶望に堪えられず。其の心情を託した哀悼の辞である。 下巻P655
1433永享5
◎花傳 〔3月〕世阿弥、後代への形見として最後の能楽論集『却来華』を著述、元雅早世のため「一座すでに破滅しぬ」と言う[同書]。
☆評釈 〔3月〕世阿弥71才最晩年の秘伝書、七十以後口伝(却来花)を記す。禅竹への、世阿弥の期待、元雅の信頼などが伺われる。 下巻P666
☆評釈 〔4月〕音阿弥元重、糺河原で将軍庇護の下に盛大な勧進猿楽を演ずる。下巻P665
1434永享6
◎花傳 〔5.4〕世阿弥(73歳?) 佐渡に流され、この日に都を出る。若狭小浜を船出して下旬に佐渡に到着、配所新保の万福寺に入る。[金島書]
1435永享7
◎花傳 〔6月〕世阿弥、女婿の金春大夫(氏信*)に書状(返信)を出し、妻寿椿への扶持等を謝し、鬼能を戒めるなど芸道へのきびしい姿勢を保持[同書状]。(禅竹 1405応永12参)
1436永享8
◎花傳 〔2月〕世阿弥、佐渡で『金島書・小謡集』を編む[同書奥書]。以後動静一切伝わらず。
1437永享9
◎花傳 〔8月〕貫氏=金春氏信禅竹の初名ならん(前出) 世阿弥の『花鏡』を密かに書写[『花鏡』金春本奥書]。
☆評釈 〔8月〕世阿弥、花鏡を金春禅竹に付与か。この年秋には大和に帰ったか。下巻P689
1441嘉吉1
◎花傳 〔此頃〕世阿弥、赦免されて帰国し、間もなく没したか。(忌日は8月8日)。[補巌寺納帳]。享年81歳説もあり[観世小次郎信光画像讃]。(小次郎信光は音阿弥の7男。)
1443嘉吉3
*全書 観世家の伝えでは、この年世阿弥没。巻2P348
1450宝徳2
□朝日新聞 この頃(15世紀半ば)グーテンベルグが活版印刷の技術を確立。名古屋市の南山大学図書館に同時代に刊行された神学書が眠る。フィレンツェ大司教アントニヌスが書いた「倫理神学大全」全4巻(1947~79印刷)。この著書で、キリスト教が罪悪としてきた金融活動を正当化したという。木の皮に革を被せた表紙、最初の頁等に金、赤、青の手書きの飾り文字があり、海外古書オークションサイトでは1千万円を超す値がつくという。 [朝日新聞2007平成19年6月4日朝刊の教育面記事] (参 1590 1600 )
1453享徳2
◎花傳 〔8月〕金春氏信・禅竹 25年前に世阿弥から相伝された『拾玉徳花』に奥書を加筆 [同書]
1456康正2
◎花傳 〔1月〕金春大夫氏信(禅竹)、『六輪一露之記注』『歌舞髄脳記』を著述。 [同書奥書]
1460長禄4
◎花傳 〔11.11〕金春大夫氏信(禅竹)、『五音三曲集』を著述[同書奥書]。
1466文正1
◎花傳 〔3.29〕金春大夫禅竹(62歳)、独自の芸能論六輪一露の最終形態たる『六輪一露秘注(立正本)』を著述[同書奥書]。
1467文正2
◎花傳 〔1.2〕音阿弥(3世観世大夫。世阿弥の弟四郎の子、三郎元重)没・70才。「観世三郎法名音阿ミ、去二日入滅、…稀代上手,無雙当芸,不便々々」[尋尊記]。
1468応仁2
◎〔花傳 3.20〕「六十四歳」の金春禅竹(世阿弥の娘婿、実質金春家祖氏信) 『猿楽縁起』を書く[同書奥書]。3年後の(1470)文明3年6月までの間に没(70才?)[申楽後証記]。
1475文明7
◎花傳 〔7月以前〕人々が寄り集まって謡を楽しむ「謡講」の用語の例が現れる [実隆公記紙背文書]。
1506永正3
◎花傳 〔8.9〕観世文庫蔵の謡本「玄上」(玄象)が長州で書写される。識語「之重本写」 [同書]
1511永正8
◎花傳 〔2.22〕観世次郎権守信光(=小次郎。音阿弥の子)1516没82才。 曲舞謡(くせまいうたい)「虎送」を書写。[同書奥書(大日本資料9編6P355)]
1516永正13
◎花傳 〔7.13〕観世弥次郎長俊(音阿弥の孫。小次郎信光の子。ワキ方名手。1541没53~54才) 観世文庫蔵の謡本「当麻」を書写[同書奥書]。
1517永正14
◎花傳 〔10.27〕観世大夫(6世)元広(四郎、道見とも。1522没50才前後)。 観世文庫蔵の謡本「松風村雨」に節付(ふしづけ)を加える[同書奥書]。
1522大永2~天正頃(1590頃)
*淵田虎頼等節付本 197冊196番。淵田は著名な手猿楽(素人猿楽) 松井閑花蔵 巻6P292
1524大永4
◎花傳 〔4月〕観世弥次郎長俊・前出 の談に基づくという作者付『能本作者注文』成る。 [同書奥書]。
*全書 現在演じられている能の台本-謡曲-のほとんどは室町時代(1333~1573)に作られたが、新作の動きがほぼとまったことを反映するかのように、どの曲は誰の作であるかを記した作者付が室町後期に編まれている。観世系統で大永4年(1524)の奥書を持つ『能本作者注文』と、同じ頃に成立した金春座系の『自家伝抄作者付』が代表的なもので、ともに約350曲を記載している。巻2P289表章:能の歩み (観世弥次郎長俊の直談による由。作者注文は巻2P350)
1554天文23
◎花傳 〔此頃~永禄2年(1559)〕観世小次郎元頼、祖父信光や父長俊の青表紙本に基づいて謡本に章句(=節付ふしづけ)を施す(観世文庫蔵<松尾>など約80冊現存)[同書奥書]。
1556弘治2
◎花傳 〔2.14〕大和宮内大夫少恕(幕府の武士)、謡本三百番(ほぼ確実に観世流)を所持 [言継卿記]。
室町末期(16世紀半ば頃)写
*全書 日爪忠兵衛宗政手沢本 64冊64番。55冊法政大学能楽研究所蔵、9冊鴻山文庫蔵 寛永年間、日爪宗政加筆。種々の書入れも有益 巻6P292
1573天正1
*全書 義昭追放され、室町幕府滅ぶ。巻2P351
1575天正3~天正4
*全書 伊達家旧蔵堀池忠清・忠継節付本 写本 74冊74番。堀池父子は永禄・天正頃に活躍した手猿楽(素人猿楽) 巻6P292 能楽研究所蔵 巻6P292
天正初(1573頃)
*全書 伊達家旧蔵室町末期筆百番本 写本 100冊100番。旧、伝観世小次郎信光本。本文と節付は元頼*系。法政大学能楽研究所蔵 巻6P292 (小次郎信光は3世観世大夫音阿弥・三郎元重の子。1516永正13没、82才。元頼は信光の孫、小次郎元頼のことで紹活とも号す。1574天正2没、56才。) 
1578天正6
◎花傳 〔10月〕観世宗節・七世左近元忠、一安斎。1583没75才 遠州で徳川家康所持の『花伝第七別紙口伝』を書写[同書奥書]。他にも多くの伝書を同地で転写しており、底本の大半は越智観世家(世阿弥の長男十郎元雅が祖)伝来本らしい。
☆評釈 音曲声出口伝の評釈には、藤代博士の発表された本文を採用した。考異に用いたのは、観世宗家に蔵せられている巻子本の音曲声出口伝である。室町時代の筆写にかかる片仮名交り書きのもので、巻末に、別筆を以て宗節の署名花押が加えられている貴重な資料である。下巻P4
1580天正8~1629寛永6
*全書 滝川豊前守旧蔵下村父子章句本 120冊 下村久長・長治・長勝の3代が書写し章句を加える。久長は小次郎元頼・前出 の弟子。法政大学能楽研究所蔵 巻6P292表章:能の歩み
*全書 残存する室町期書写の謡本の大半は観世流節付の本である。信光の孫で脇方の名手だった観世小次郎元頼およびその弟子らの手になる謡本が多いことが特に目立っている。 巻2P289表章:能の歩み
1582天正10
*全書 本能寺の変。織田信長没49才。巻2P351
1585天正13
◎花傳 〔閏8月〕九世観世大夫(左近身愛タダチカ、黒雪斎、服部慰安斎、暮閑、忠親とも、1626没61才) 遠州で謡本〈夕顔〉を書写し、「鬼若」と署名。数え20歳でまだ元服以前らしい [観世文庫蔵同本]。この年の内(次項以前)には元服した模様。
◎花傳 〔12.27〕九世(身愛)謡本〈丹後物狂〉の奥書に「与三郎照氏」と署名。 [観世文庫蔵同本]。
天正末(1592頃)
*全書 吉川家旧蔵鳥養道晰 手沢本写本 21冊(5番綴)112番。鴻山文庫蔵。車屋本は西国の大名家に多く伝存。巻6P293
1590天正18
□ 朝日新聞 日本に活字印刷伝わる。秀吉が朝鮮より戦利品として銅活字を持ち帰ったのはこの3年後。キリシタン大名がローマに送った天正遣欧使節の帰国に際し、イエズス協会が印刷機材を持ち込んだ。これを用いた刊行物は日本語をローマ字にしており、「キリシタン版」と呼ばれ、現在30点が確認されている。うち3点が上智大の働きかけで復刻出版された。翌1591年には仮名文字での日本語印刷も始まった。 [朝日新聞2007平成19年1月30日朝刊の文化面記事]    (参 1450 1600)
1595文禄4
◎花傳 〔3~6月〕関白豊臣秀次の意向で五山僧・紹巴・山科言経らによって『謡抄』・謡曲本文と解説等を記述百二番が選述される。[言経卿紀] 底本は金春流謡本。慶長末期以降古活字版で数種刊行される。
1596文禄5
*全書 吉川家旧蔵鳥養道晰節付本 24冊120番。天理図書館蔵。文禄5道晰奥書。5番綴。巻6P293
1596慶長1頃
*全書 秀吉の養子関白秀次が、五山の僧などに命じて編纂させた『謡之抄』は最初の謡曲注釈書であり、謡曲がこの頃に文学的古典としての評価を受けるに至ったことを示している。慶長初年に最初の版行謡本である金春流車屋謡本を出版して宮中に献上した鳥養道晰(宗晰・鳥飼道説、道節とも。車屋は屋号。)は、秀次の祐筆的役割を果たした書家であった。巻2P291表章:能の歩み (道晰は、御家流から出た鳥飼流の宗慶に学んだ能書家。*巻6P82高安吸江:謡本の話)
*毛利家旧蔵三番綴本 34冊102番。法政大学能楽研究所蔵。伝三藐院近衛信尹自筆本。金春流。巻6P293
1597慶長2~1600慶長5
*全書 妙庵玄又手沢五番綴本 写本60冊301番。松井閑花蔵。妙庵は細川幽斎の3男幸隆。巻6P292
1598慶長3
◎花傳 〔8.18〕豊臣秀吉没63歳。
1600慶長5以降
*全書 慶長初年刊整版車屋謡本 35冊(2番綴)71番確認。鴻山文庫他蔵。道晰が慶長5年以降に刊行した金春流謡本。最古の版行謡本であり、国文学書の出版としても古い。諸家に1番綴、2番綴、5番綴本が伝存し、これまでに71番が確認されている。巻6P293  (参 1450 1590)
*全書 野上豊一郎博士旧蔵車屋謡本 100冊100番。法政大学能楽研究所蔵鳥養流の書家で金春大夫喜勝(金春家5世八郎元安とも。1583天正11没74才)の弟子の鳥養道晰(宗晰)が節付を加え写本や版本は、彼の屋号に因んで車屋本と呼ばれる。野上本に奥書はないが、道晰自筆。加藤嘉明手沢本『謡曲集日本古典文庫』に翻刻。天正末頃写。野上博士が車屋本の存在を初めて指摘。 巻6P293
*全書 車屋本刊行は慶長5年。巻6P228西野補注より(表章著『鴻山文庫本の研究謡本之部』参照)
1601慶長6
◎花傳 〔3.5〕鳥養道晰・宗晰 新刊の謡本30番(整版車屋本)を山科言経を通して禁裏に献上[言経卿記]
*全書 鳥養道晰(宗晰)、金春流車屋本を上梓し、後陽成天皇へ献上す言経卿記。最初の版行謡本。2P352
◎花傳 〔8月〕九世、謡本<墨田川>の奥書に「観世左近大夫身愛」と署名。 [観世文庫蔵同本]  
1603慶長8
*全書 徳川家康、将軍に任ぜられ江戸幕府を開く。巻2P352
1605慶長10~1606慶長11
*全書 岩本秀清節付二番綴本 写本50冊100番。法政大学能楽研究所蔵。岩本秀清は金春座付の脇方春藤六右衛門(ワキ方春藤流3世。現下懸り宝生流。1630寛永7没) のワキツレをした人物。巻6P293
1605慶長10~1626寛永3
*全書 石田少左衛門友雪節付観世暮閑奥書本 写本79冊。鴻山文庫蔵 観世大夫暮閑(黒雪)の謡の弟子である友雪が節付を施し暮閑が校閲した本。元和卯月本の底本。原形は100番以上。 巻6P292
1606慶長11
◎花傳 〔5.23〕観世(9世)大夫身愛(ただちか。黒雪斎、与三郎忠親とも。1626没61才)伊達政宗・上杉景勝饗応の常陸介(前名長福丸、後の紀伊頼宣)主役の能の<翁>をスッポカシ、前夜に駿府を逐電、家康に勘当される[当代記]。身愛は高野山に隠居し、「服部(観世)慰安斎暮閑」と名乗る[諸謡本奥書]
1609慶長14
◎花傳 〔この頃〕観世流節付の古活字版謡本(光悦謡本)が多種刊行される。[諸資料] (観世流最初の版行本。1983昭和58参)
□光悦謡本刊行。観世流謡本の最も古く刊行せられたるは、世に光悦本と称するものにして慶長年間嵯峨人角倉素庵の自筆に成れるを版下とせしものなりと云う。今を去る三百有余年前にして、従来当流にて使用し来れる謡本の本文は、斯の光悦本に拠りたるものなり。其の後も謡本の刊行せられたるもの少なからざりしと雖も、多くは光悦本の転刻又は模写にして、新に書き下したるものなし。由来謡本に用いられたる嵯峨様の字体は…。[1920大正9『大正改版節付凡例観世流謡曲正本精解』改訂要旨より。大正版の訂正著作者は24世観世左近元滋(清久)] (本阿弥光悦・俵屋宗達は琳派の源流をなし、その後継者の尾形光琳作「紅白梅図」等は国宝として名高い。)
*全書 光悦謡本の分類(7行13字の1~3字連続の活字) 巻6P83 高安吸江:謡本の話 (引用者要約)
第1:大和綴、表紙色変リ雲母摺、地紙雲母摺白又ハ淡紅又ハ淡緑、8×6寸、最豪華。誤植最多。
第2:大和綴、表紙色変リ雲母摺、地紙雲母なし淡色5色、7.9×6寸。誤植3位
第3:大和綴、表紙色変リ雲母摺、地紙雲母なし白、8×6寸。誤植2位
第4:袋綴、表紙色変リ雲母摺、地普通紙具引ノモノアリ、8.2×6.1寸多少大小アリ、誤植4位
第5:袋綴、表紙雲母なし紺、地普通紙、8.2×6寸。粗本、流布用か。誤植最少。
慶長・元和(1596~1624)
*全書 光悦謡本特製本 100冊。鴻山文庫蔵。光悦謡本は、慶長・元和頃に光悦流書体の木活字を用い、草木・鳥獣の雲母模様や色替りの表紙・料紙で華麗な装丁の観世流謡本で、琳派美術品の遺品としても名高い。帖装と袋綴に大別されるが、もっとも豪華な帖装をあげる。特製本は表紙の他に各丁にも雲母模様を刷る。巻6P293
*全書 光悦謡本上製本 100冊。鴻山文庫他蔵。表紙のみ雲母模様。料紙は白一色。 巻6P293
*全書 光悦謡本上製色替り本 41冊。鴻山文庫他蔵。上製本と同じ活字だが、料紙が白・青・淡紅・黄色。巻6P293
1616元和2
◎花傳 〔4..17〕徳川家康駿府城で没75歳。
元和初期(1615頃)
*全書 観世宗家9代左近身愛(ただちか)高野山に隠れ黒雪と改め、1612慶長17年2月21日家康に許され再召出され、その後元和初期に黒雪本が刊行。 巻6P88高安吸江:謡本の話
元和(1615~1624)
*全書 古活字謡本 複刊20冊。宮内庁書陵部他蔵。擬光悦本と呼ばれる観世流謡本。『謡曲百番日本古典全集』昭和3日本古典全集刊行会、正宗敦夫編に影印。 巻6P293,295。(1928昭和3参)
1620元和6
◎花傳 〔4月〕観世左近大夫暮閑奥書の観世流謡本(元和卯月本)の刊行が始まる。弟子の石田少左衛門友雪が関与した全百番の整版謡本で、完成は元和8年頃。 [同本奥付、他]
*全書 元和卯月本 100冊。鴻山文庫他蔵。元和6年刊。観世大夫暮閑公認本で、友雪が刊者らしい。本書の詞章は寛永卯月本に踏襲され、以後観世流版行本の主流を占めた。紺紙金泥の豪華な装丁は光悦本と双ぶ。「版本文庫」に影印、「笠間選書」に翻刻*。1番綴と5番綴。 巻6P293  **1977昭和52参
*全書 観世大夫九代身愛(黒雪斎・服部慰安斎暮閑とも)は多くの謡本を書き残し、彼が監修して弟子の石田友雪が刊行した元和卯月本百番は身愛当時の観世流謡曲詞章改訂の仕事の最終形態を示すもので、現在の観世流内百番の詞章は同書を踏襲している。巻2P292表章:能の歩み
1624寛永初年
*全書 江戸初期『擬車屋本』刊 20冊(5番綴)100番。明大図書館他蔵。刊者不明。かって車屋本と確認されていた。整版車屋本の影響が大きい金春系謡本。広く流布したらしく複刻本が多い。以後同系諸本の祖本で、観世流謡本における寛永卯月本に匹敵す。巻6P293
*全書 刊年不明木田七兵衛本 8冊。鴻山文庫蔵。観世座脇方、進藤流最初の刊本らしく、寛永初年の刊。巻6P294
1626寛永3
*全書 乱曲揃。巻2P352
1629寛永6
◎花傳 〔4月〕江戸期の観世流内百番謡本の基になった寛永卯月本(元和卯月本を改定)刊[同本奥付]
*全書 寛永卯月本 刊者不明。鴻山文庫他蔵。寛永6年刊。元和卯月本を祖とし、広く流布。以後の観世流謡本内組本の範とされ、明治の謡本まで引継がれた。装丁・様式(綴り方)各種あり。巻6P293
1647正保4
◎花傳 〔1月〕最初の間拍子入の内百番謡本(半紙本)たる正保耶査本が刊行される。 [同本奥付] 
1649慶安2
*全書 進藤流内百番 この頃京都を中心に謡が普及する。巻2P353
*全書 吉野本 光悦第5種本の模刻。巻6P92高安吸江:謡本の話 (5種本は、1609慶長14光悦謡本の種類の項参照) 
1657明暦3
◎花傳 〔4月〕京都の書肆野田弥兵衛「百番之外百番」本(最初の観世流外百番謡本)を刊行。[同本奥付]
*全書 野田弥兵衛刊外組本 20冊。鴻山文庫他蔵。卯月本系の内百番に対応する外組本。観世流最初の外百番。巻6P294
1659万治2
*全書 山本長兵衛刊五番綴本 20冊。鴻山文庫他蔵。後に観世流謡本版元として名高い山本長兵衛*の最初の本。寛永卯月本とは曲目に出入りあり。頭注を加えた点が新工夫。巻6P293  (山本長兵衛は、後代、版権を檜書店の創業者橋本常祐に譲り渡す。1866の項参照。)
1661寛文1
*全書 諷増抄(加藤盤斎)首巻に能本作者注文。巻2P353
1668寛文8
*全書 乱曲揃。巻2P354
1681天和1
*全書 西森六兵衛・吉田徳兵衛刊内組本 20冊。車屋本の影響を脱した新種本。刊者の2字をとって六徳本と通称。初めて強(弓)・弱(禾)吟を明示する等、節付が詳細。金春流謡本の明治版の祖本。巻6P294
*全書 金春流謡本・内百番(六徳本)強吟・弱吟を記入した最初の版行本、外百番は貞享3年刊。巻2P354
1685貞享2
◎花傳 〔2.5〕観世市三郎(11世・左近重清 の弟結崎玄入・金十郎重治 の子)、観世大夫重 賢の養子となって織部を名乗り、翌年正月の江戸城謡初に養父に代って出演。[由緒書]
1686貞享3
◎花傳 〔5.29〕観世大夫重賢30歳で隠居し、養子織部重記(後に滋章)が十三世を嗣ぐ。[由緒書]
◎花傳 〔9月下旬〕京都の書肆林和泉掾二百番之外之百番謡本(三百番本)を刊行。 [同本奥付]
*全書 西森・吉田・須原屋刊外組本 20冊。六徳本・1681天和1に対応する外組本。金春流謡本。金春大夫も関与か。巻6P294
1687貞享4
*全書 乱曲久世舞要集。巻2P354
1689元禄2
◎花傳 〔1月下旬〕京都の書肆林和泉掾三百番之外之百番謡本(四百番本)を刊行。 [同本奥付]
1693元禄6
*全書 井原西鶴没。52才。翌元禄7年に松尾芭蕉没。51才。巻2P354
1698元禄11
◎花傳 〔10月下旬〕江戸の田方屋伊右衛門四百番之外之百番謡本(五百番本)を刊行 [同本奥付]
1702元禄15
□赤穂浪士、吉良邸討ち入り。
1716正徳6
◎花傳 〔3月〕京都の書肆山本長兵衛観世織部滋章(もと重記)公認の全百番の謡本刊行(1659万治2が初刊)し、後*に全百十番(二十二冊本)に改定増補。[同書奥付]  「山本長兵衛正徳本」(この名称は引用者)
1716享保1
◎花傳 〔4.30〕七代将軍徳川家継没8歳。五代目紀伊藩主の吉宗が八代将軍となる。(8.13)
◎花傳 〔7.11〕十三世観世大夫織部滋章没51歳。子三十郎清親が継ぎ織部と改名。 [由緒書]
1765明和2
◎花傳 〔6月〕観世左近元章、観世流謡曲詞章に大改訂を施し、内・外・習二百十番と独吟謡九冊と目録から成る「明和改正謡本」を幕府御用書肆の出雲寺和泉掾から刊行。[同書奥付] 曲目の変更や詩章改訂が激しくて、すこぶる不評。 (本章は、観世流15世。14世織部清親の子。安永3没53)。
*全書 観世元章、尚古主義的立場から観世流詞章に大改訂を加えた「明和改正謡本」を刊行。全210番(世阿弥作「布留」等の古曲を複曲し、自身、「梅」を新作)、行き過ぎた改訂のため十年後に廃止される。巻2P355 (現行大成版「梅」の曲趣で尚古趣味を指摘し、世阿弥の「東北」に見る新鮮な詞使いと対比している。)
*全書 観世大夫元章・前出刊「明和改正謡本」 50冊。内組・外組(各20冊、計200番)と習十番本(10冊)。元章が将軍と国学者の協力を得て、観世流謡曲の詞章を大幅に改訂、古曲を復活するなど大胆な改革を試みた出版。別に九祝舞、独吟、二百十番謡目録・作者付資料 、副言巻・舞台図も刊行。結果は不評で、十年間使われただけで元章没後に廃され、旧に復した。出雲寺和泉掾刊。別に山本長兵衛刊もある。巻6P294
*全書 十五代観世大夫元章・前出 は、謡曲の文章には訛誤が多いとの見地から、国学者の協力をも得てそれを大幅に改訂し、世阿弥自筆本の残る廃曲などを復活し、新作能<梅>をも加えて、計二百十番の新しい謡本『明和改正謡本』を刊行した。-中略-改定が大幅に過ぎ、古語を濫用するなどの欠点が多くて、刊行当時から非難の声が高く、9年後に元章が没した直後に、将軍家治の一言『明和改正謡本』は廃止されてしまったが、謡曲詞章改変に並行して元章が進めていた観世流の能の演出面の改革は、多くの小書(特殊演出)として今に生きている。 巻2P295表章:能の歩み
*全書 明和改正の遺物として、9番習の規定がある。巻6P98高安吸江:謡本の話 (現行9番習も同じ曲である。) 
△大観 観世座大夫元章・前出 は、田安宗武の後援を受けて、加茂真淵・加藤枝直に詞章の添削を乞い(加藤枝直「明和改正本謡曲草案」)、従来の謡曲二百十二番及び獨吟八十五曲に亘つて改修し、且新作[梅]を加へて、明和2年刊行した。所謂「明和改正本」が即ちこれであるが、厳格なる傳統精神によって維持せられて来た藝術を俄かに改革しようとするのは、その内容の正否に拘わらず成功し難い。この改正本も亦元章一代で廃棄せられ、次の大夫からは古に復することとなった。首巻P43
1774安永3
◎花傳 〔4.22〕観世大夫織部清尚(15世左近元章の弟で現観世銕之丞家祖となり)後に本家17世を継ぐ。 将軍側役の稲葉越中守・老中田沼主殿頭意次から明和改正謡本の廃止(将軍家治の希望)を勧告される。翌23日に清尚は弟子衆を集めて一札に署名させ、翌24日に明和改正謡本廃止を幕府に返答。版元にも後日絶版を通告。 [織部扣・清尚扣]
1776安永5
◎花傳 〔此年〕江戸の書肆戸倉屋・須原屋、喜多大夫公認の謡本(全百五十番)を刊行 [同書奥付] (5番綴30冊。1番綴もある。)
*全書 喜多流百五十番(喜多流公認の謡本。安永版)。巻2P355
1784天明4
◎花傳 〔6月〕山本長兵衛、「天明新十番」謡本を刊行。[同書奥付] 代主・忠信・吉野天人・烏帽子折・合甫、逆矛・第六天・住吉詣・恋重荷・大瓶猩々の十番で、明和改正本所収曲。
1799寛政11
◎花傳 〔3月〕宝生大夫英勝、一橋家の後援で内百番・外百番から成る「宝生流寛政版」を刊行。[同書識語] 宝生流謡本の最初の版本で、それ以前は観世流版本を訂正して使用。
*全書 宝生大夫刊「寛政版」 42冊。鴻山文庫他蔵。内百番・外百十番から成る宝生流最初の版本。一橋徳川家の後援を得て宝生大夫英勝が編纂・校正。本文は一橋家の右筆信夫顕祖。他に天保15年の富士版、安政6年の縁山版、嘉永版等がある。巻6P294
1806文化3
*全書 須原屋弥茂衛刊外組本 9冊45番。1776安永5戸倉屋・須原屋刊内組本に対応する外組本。奥付に喜多健忘斎の識語がある。 巻6P294 (健忘斎は、喜多家9世。七大夫古能 似山 充 栄之丞とも。1829文政12没88才)
1840天保11
□観世流天保本出版。内110番、外62番、別能28番の200番を胡麻節に直シを加え、文章も当時行われたる所に従いて改訂。天保本は節附の上に一種の標準を与へたるものと云うべく、その後の謡本は天保本の飜刻又は複製にして今日に及べる。[1920大正9『大正改版(あらためばん)節付凡例観世流謡曲正本精解』改訂要旨より。大正改本の訂正著作者は24世観世左近元滋(清久)]
1866慶応2
◎花傳 〔1月〕京都の橋本常祐、山本長兵衛の版権を譲り受け、新種の観世流小謡本を刊行。[同本奥付] 橋本は今の檜書店の創業者。
1868慶応4
◎花傳 〔9.8〕明治と改元。*巻2P356徳川幕府崩壊し、4座1流の能役者、扶持を離れる。

次の項目など、引き続き「能楽外縁観測第1部」をご覧になる場合は「謡曲の統計1」から進んで下さい。

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