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その他 能楽外縁観測第4部-9 僧など人物の文字

2022-11-15

人物を表す文字として、僧・坊・皇・帝・君・臣・士・人・女・男の10文字を数えました。「人」が1曲平均で11回と圧倒的に多く、他の文字と一緒にグラフ化できない程です。逆に「臣」は意外に少なく、一曲あたり0.4回の294位でした。
グラフでは、「人」を独立させ、「僧+坊」・「皇+帝」とし、「君」・「士」・「女」・「男」を比較できるようにし、「臣」を省いています。
曲柄別では次のとおりです。
グラフで省略または簡素化したデータの詳細は次表(単位:回/曲)のとおりです。
参)「皇帝」という単語は全146曲で6回、「君臣」は3回だけ使われていました。


文字数が多いので、グラフを読み解くのは容易ではありません。

先ず、「人」が圧倒的に多く出てくるのは、神や鬼が出て来る曲もある中で、謡曲が人間中心の世界になっていることを示しています。

曲柄別で見ると、1・5番=神・鬼物は「人」が他の曲柄の12~13回と比べて少なくなっています。
1番=神物は「人」が6.6回で、仏教の「僧+坊」は出てきません。5番=鬼物では「人」が8.0回で、「僧+坊」が3回と多く出てきます。
結局、神・鬼物でも人間が主体となっています。

能は「複式夢幻能」と形容されたりしますが、主人公の生前を回想する展開が、旅僧の夢の中だったとするパターンを指しており、多くの能がこの構成になっていると思われがちです。
「僧or坊」の登場は以外に少なく1.6回にとどまっています。別に数えた「女」や「君」の約2回のほうが多くなっています。夢幻能というジャンルは、能全体の一部であることを示しています。おおざっぱに言えば、僧が登場しないパターンを入れても全体の1/3以下程度と思われます。

その「僧+坊」より少なく、1回/曲で「皇or帝」が出てきます。以外と少ないと思われるでしょう。「皇」は〇〇天皇・法皇・皇子みこなどとして使われており、1番=神物で比較的に多く出てきます。その神物ではほぼ同じ意味の「君」が3倍も多く使われています。
謡曲には天下泰平、国土安穏を願ったり、治世を讃嘆したりする側面がありますが、4部-3で数えた「国」は、偶然にも「君+皇」+「帝」の3.1回と同じになっていました。謡曲世界における天下・国家は、半分は「天皇」で、半分は「国」で表現されるイメージになっているのでしょうか。
但し、中世の「国」は武蔵国むさしのくにや山城国やましろのくになど、奈良時代末期から始まる律令国を指し、全国で60余州と言われるように68ヶ国もありました。(壱岐・対馬・佐渡を島とすれば65ヶ国に、蝦夷えぞ=北海道と琉球=沖縄を入れれば70ヶ国になります。これも明治期になって出羽&陸奥を7ヶ国に細分されています。)
なお、「帝」は中国の皇帝の意で使用されている場面があります。

次の「士さむらい」は全体で1.0回/曲と非常に少ない印象があります。「士」の一番多いのは4番=狂物で、何故か2番=男物ではありません。
鎌倉幕府以降は武士が治める政治が続いているのに「士」が少ないのは何故なのでしょうか。もしかしたら本当の武士政権は江戸時代だけで、それ以前は朝廷に実権があったか、幕府に強い貴族志向が残っていたかなどと想像されます。あるいは、やはり武士は舞を舞ったり、詩歌を朗詠する姿が似合わないとされたのでしょうか。だから、戦場で笛を奏でた敦盛あつもりや、詩歌に情熱を傾けた忠度ただのりのような武士が、珍しさから注目されて主人公に取り上げられたのかもしれません。
こうした背景を持つ能・謡曲が、室町時代の足利将軍家に庇護され、江戸時代に徳川幕府の式楽と定められ、いわば武士の公式芸能とされて600年を超える芸統を保って来た事にも興味深いところがあります。能・謡曲は武士一辺倒ではない豊かな文化的芸術であることが、その要因と思われます。また、幕府の式楽となって芸術性が高まり、武士の嗜みとして全国に広まったとも言われています。しかし、現在ではそれがあだとなり、謡曲を趣味にと勧めると「そんな敷居の高い高尚な…」と断り文句にされたりします。世阿弥の能は身分や性別・国籍をも越える普遍性を持つ芸術であることを強調したいところです。

「女」は2.3回で「男」の0.6回の約4倍になっています。3番=女物で3.7回と多いのは当然ですが、1番=神物・4番=狂物でも2.1回・2.4回/曲と多く出てきます。やはり舞歌には女性が欠かせないようです。

【予告】次回は「第4部-10 喜怒哀楽などを表す文字」です。

次の項目など、引き続き「能楽外縁観測第4部」をご覧になる場合は「謡曲の統計4」から進んで下さい。


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