その他 能楽外縁観測第4部-12 謡曲世界はどんな色? (「道成寺」解説付き)
2023-01-01
色を表す文字として「赤・紅・青・紫・緑・黄・白・黒・金・銀」の10個を数えてグラフにしました。
グラフから圧倒的に「白」の多いことが分かります。1曲平均で2.5回使われています。但し、謡曲の詞章の中では「面白おもしろ」として使われている場合が0.9回もあり、必ずしも白色を表現してない場合があります。「知らない」の意を含む「白波」や「白露しらつゆ」などもあります。
直接に色彩を指したものではなくとも「白」の文字を使うことで「白い」イメージを利用しており、これらも含めてグラフに示しました。
こうしたことは、他の色も同様となっています。それぞれについて直接に色彩を表している場合と、そうでない使用例を示すと次のとおりです。

「赤」と「紅」では圧倒的に「紅」が多く使われ、それも色彩を直接指すより「紅葉もみじ/こうよう」として使われる場合が多くなっています。焔の赤を強調した「紅蓮ぐれん」もあります。
「紫」は全体の4割が地名や人名で使われています。
「青・緑・黄・黒」は本来の色を指す場合が8割以上となっています。
「金」と「銀」は色を指すと同時に「金銀」などのように光り輝く貴金属を思わせる用例が殆どとなっています。
「白」以外で多い色は「紅」で、「赤」と合わせて1.1回になります。これに次ぐのが「青」の0.6回で、その他は0.5回未満となっています。
グラフから見る限りでは、謡曲の描く世界は特定の色で塗りつぶされるようなものではなく、そうかと言って無彩色の世界でもないと言えます。一番多い「白」は清純・潔白のイメージであり、どの色をとっても一色に染めあげるようにはなっていません。
元々、能の演じられる舞台は、西欧の歌劇と比べると大きな違いがあります。西欧の歌劇は、演目ごとに宮殿や森などを本物そっくりに作ったりします。能舞台は背景に松を描いた鏡板があるだけです。舞台と観客席と断絶する揚幕もありません。一日の能の初めから終わりまで、いくつもの演目が同じ舞台で演じられます。一曲ごとに最小限の作り物を観客の目の前で運び入れて置いては、運び去っています。作り物を使わない演目もあります。
つまり、舞台全体を一色に染め上げる機会がありません。それを前提に能は作られているのです。小さな作り物に象徴的な花や木の葉などが添えられるだけです。季節の描写や、夜から朝へなどの時間の経過は、シテ=主人公などと地謡じうたい=合唱の詞章の謡うたいに、笛や小鼓などの囃子はやしが加わって表現されます。それによって観客は場面ごとの状況を想像する仕組みになっています。
だから、舞台に歌劇のような装置は必要としないのです。舞台に色がないから詞章で表現すると考えれば、色を表す文字をもっと多用してよいのではと思われますが、何故かそうなっていません。
もしかしたら、頻繁に色を説明するより、ここぞという時に象徴的に使うほうが効果的であるとされたのかも知れません。世阿弥の「珍しきが花」の応用なのでしょうか。
ここで、場面を描く例として「道成寺」の場合を紹介します。2023年1月7日に全国能楽キャラバンin新潟の観世流特別公演として山階彌右衛門師がシテを勤める予定になっています。(曲の解説は最後に記します。)
「道成寺」の場面設定を見てみます。シテ=白拍子の道行で「月は程なく入汐の…急ぐ心がまだ暮れぬ。日高の寺に着きにけり…」によって、昼に残った月が西に沈みかけて満潮を迎える頃、日暮れ前の日がまだ高いうち…と想定されます。
また、シテの次第「花の外には松ばかり。花の外には松ばかり。暮れ初めて鐘や響くらん」から、あたりは満開の桜が咲き誇り、ほかにはいつも緑の松だけ…。そんな春景色も暮れはじめ、夕方の鐘が響いている…。非常に印象的な場面を短い詞章で描写していることが分かります。
次に10色を曲柄別でみると、次のグラフになります。

全体として「白」が多いのは、前述のとおりですが、神々しい神様の登場する曲には白が似合うと思われますが、1番=神物が一番少なくなっています。どういうことなのか、説明に窮します。
ただ、第4部-5で「松」が非常に多いことを指摘しましたが、松と緑の関係からか、「緑」が他の曲柄の2~5倍も多いことが注目されます。そして、「金」が1.5~3倍になっています。やはり常緑の松に神様が降臨し、光り輝く存在になっているようです。
2番=男物は、「青」が他の曲柄の2~5倍も多く、詩を詠んで舞う男の主人公は、大空や青海原を想わせるスケールと潔さを持ち合わせているようです。
3番=女物は、色に関する文字が8.1回と一番多く使われ、華やかさを裏付けています。よく見ると「紅」・「紫」・「白」・「銀」が他に比べて一番多く、金ピカではなく清潔で落ち着いた美しさを表しているようです。
4番=狂物は、雑物とも別称されるように、どの色もほぼ全曲の平均値となっています。但し、「白」が神物の2倍もあり他の曲柄より多くなっています。正気を失っても、ベースに冷静さがあることを示しているようです。
5番=鬼物は、色を表す文字が4.9回と一番少なく、一部の色以外は平均値以下となっています。「黄」・「青」は平均値より多いと言ってもほぼ同じになっており、鬼物を色で特徴づけるのは困難なようです。
これまで10色について取り上げましたが、色を表す文字には「水・空・桜or櫻・鶯うぐいす」などもあります。数えると水は3.07回/曲、空は1.65、桜or櫻は1.03、鶯は0.25回も使われていました。しかし色彩を表す以外の用例が殆どとなっています。「水」は水そのものや、清水きよみず/しみず・水上みなかみ・池水など、「空」は空そのものや空むなしいなどと使われ、「桜」は花そのもの、「鶯」も鳥そのものを示す場合が多くなっています。
また、和の色として「桃・藍あい・錆さび・緋ひ・茶・鈍にぶ」も数えましたが、「桃」が0.12回、「藍」が0.06回で、「錆~鈍」は0.03回/曲以下で、非常に少なくなっていました。
最後に、「橙だいだい・茜あかね・紺こん・鼠・灰」を数えたらどれも1回も使われていませんでした。
謡曲では、微妙な色合いを言葉にしていないのです。象徴的な色を示して、あとは観客の想像に任せているようです。
最後に「道成寺」について解説しておきます。
演能が2時間に及ぶ大曲です。観世流では重い習い物の曲として「重習・奥伝」に位置付けられています。1950年から60年間の観世流の統計では、年間平均13回以上も上演され、210曲中の33位で、昭和から平成共通の人気曲と言えます。
この能の展開は緊張と弛緩の連続で、クライマックスに向けた仕掛けの見事さが際立ちます。最初に狂言方が、無言で鐘を舞台へ運び入れ、鐘を吊るす綱を天上の滑車に掛ける所から始まります。観客は日常空間から、一挙に緊張した作業の舞台に引き込まれるのです。釣り終わって再興された鐘の供養を営んでいると、一人の白拍子が現われ、女人禁制となっているのに舞を許されて供養の場に入り込みます。女は小鼓の気迫に満ちたかけ声と長い間をおいて打たれる音で奏される緊張感に満ちた乱拍子らんびょうしの舞を舞い、さらに、その静寂を破る激しい舞を舞いながら鐘の中に入って鐘を落としてしまいます。(これを鐘入りといい、重い鐘が落ちて来る中へ飛び込む危険な演技になっています。綱を離して鐘を落とすタイミングが肝要で、鐘後見の手腕が問われます。)鐘の落ちたことを聞いた住僧は鐘にまつわる恐ろしい昔話をします。それは、宿坊の娘が、毎年訪れていた山伏に裏切られたと思い込み、その恨みから蛇体となり、鐘の中に隠れた山伏を焼き殺したというものでした。女の執念を知った僧たちが祈って鐘を引き上げると、蛇体に変身した女が現れます。(シテは一人でこの衣装変えの作業を暗い鐘の中で行います。また、謡うたいに合わせて鐘を中から揺らしたりします。)鬼女は僧たちと争いますが、一進一退の続くうち、ついに激しい祈祷の力に負けて日高川へ逃げ去ります。
この曲は今昔物語にも見える安珍あんちん清姫きよひめ伝説等を資材としています。説話では、美男の旅僧に惚れ込んだ寡婦が、僧の寝床に入り込んで結婚の約束をさせたのに、僧が熊野参詣のあと戻らなかった事を恨み、ついには寺の鐘に隠れた僧を蛇体となって巻き付いて焼き殺してしまう。殺された僧は寺の高僧の夢に大蛇となって現れ「蛇の夫婦となった私たちを法華経の功徳で救って下さい」と懇願します。高僧が如来にょらい寿量じゅりょう品ぼんを書写して、多くの僧を集めて法会ほうえを営むと、二匹は都率天とそつてんと忉利天とうりてんにそれぞれ生まれ変わることができた、と記します。邪淫な寡婦が嫉妬した話で、最後は法華経の功徳を語っています。
能では、純真な娘が親の冗談話を真に受けて、恋心を募らせた結果としており、最後も読経による救済はなく、その恨みは日高川に留まっています。作者の創意工夫したところと思われます。
この曲は「鐘巻」が旧称とされ、作者は不詳となっていますが、スペクタクル的展開などからも観世信光作1450~1516が強く推定されます。演能記録に天文23年=1554年3月1日(言継ときつぐ卿きょう記き)があり、室町1392~1573後半期の作となっています。
本曲は後世に大きな影響を与えました。江戸中期から歌舞伎に取り入れられ、1753年初演の「娘道成寺」は現在に至る人気曲となっています。
【予告】特定の文字を数えるシリーズは今回をもって一応の区切りとします。次回からは、これまで分析の対象としてきた現行5流が共通して採用している146曲の詳しい内訳を説明します。曲柄構成・曲名内訳・一曲の文字数と文章数、使用頻度の高い文字、などを順次展開します。次回は「第4部-13 文字抽出対象146曲の妥当性」です。
次の項目など、引き続き「能楽外縁観測第4部」をご覧になる場合は「謡曲の統計4」から進んで下さい。