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その他 能楽外縁観測 第5部-序 演能曲目の変遷

2023-05-31

能楽外縁観測第1部・2部では「能」の曲目について世阿弥の著作・謡曲の作者・謡曲の成立年などをグラフで示し、謡本に関する詳細な年表も付けました。第5部からは、世阿弥当時から現在に至る演能状況と現行曲の関係に目を向け、次の目次で展開することとします。

第5部 室町時代の演能状況 目次

第5部-序 演能曲目の変遷
第5部-1 世阿弥期演目とその後
第5部-2 世阿弥期演目の現代人気度
第5部-3 世阿弥期演目の曲柄
第5部-4 世阿弥期演目の作者構成
第5部-5 世阿弥期演目の総数など
第5部-6 江戸以前の演能資料
第5部-7 室町中期の演目と演能回数など
第5部-8 勧進能について
第5部-9 室町期5種の勧進能
第5部-10 5種勧進能のまとめ
第5部-11 室町期の曲目別演能頻度
第5部-12 織豊期の演能状況
第5部-13 車屋謡本について
第5部-14 謡抄について
第5部-15 室町・織豊期の演能等記録のまとめ
第5部-16 室町織豊期演能等記録の曲別一覧1/3
第5部-17 室町織豊期演能等記録の曲別一覧2/3
第5部-18 室町織豊期演能等記録の曲別一覧3/3

また、江戸時代の演能状況は第6部で、徳川将軍期別演能状況を第7部で、江戸時代の勧進能を第8部で展開することします。

第2部―2で触れたように、これまでに作られた謡曲の総数は3,000曲に及び、室町期に作られた1,000曲のごく一部の250曲ほどが現行能として残り、その後江戸から昭和の時代に作られた2,000曲については、現在10曲たらずしか演じられていません。(謡曲が創作されても演能されない曲が非常に多くありました。)

謡曲は「能」の台本であり、謡曲の曲名が記録されていても演じられたかどうかは、別の問題です。勿論、曲名も分からない能が演じられる訳もありません。昔の演能の実態を知るには古記録を確認するしかなく、直接的な資料が何処にあるかも分からず、どれだけあるかも知れません。ここは能楽研究の先達の研究成果に頼るのが賢明と思われます。

あとは、第1・2部でも触れてきた昔の厳選された謡本や注釈書に見られる曲名から間接的に眺めるだけです。但し、室町期で既に1,000曲が作られた中で、100番ほどを集めた写本や、謡曲を古典と見做して編纂された注釈書は、その時代で人気の曲であった証左なので、直接の演能記録ではなくとも度々演じられた曲と想像されます。「うたい」の流行もありますが、演能と無関係に流行するとは考えられないという立場です。

但し、この部分については注意が必要です。室町末期から「謡ウタイ」の流行が始まり、能本の写本が急増します。江戸期に入ると版行謡本の発行が相次ぎ、謡本集も100曲程度を超えて100番之外百番から、三百番本・四百番本・五百番本などが登場してきます。また、作者付けの「いろは作者注文」(織豊中期の1578~1594編)では750曲以上の曲名を掲げています。表章氏もこの時期の謡本は「謡ウタイ」のテキストであり、能の上演とは別なものとして扱うべきだと指摘しています。

また、昔の演能曲を検討しても廃曲になっているケースが多いので、それらを検討の俎上に載せるのは膨大な作業量となるだけで、現行曲との関連も少なく、興味も湧かないと思います。ここは割り切って非現行曲については演目曲数等に触れる程度にして、現行曲の演能状況の変遷に焦点を当てて行くこととします。

最初の作業は、現行曲の曲名ごとに、曲名が初めて記された記録、演能記録、古謡本、古い注釈書などを調べることになります。具体的には次の資料を元にして曲ごとのデータを整理することから始めます。

1.世阿弥当時の資料(室町初期)
1422 風姿花伝(第1~3:1400年成立、第4~7:1422成立)
1423 三道(能の作り方を展開)
1432 五音(曲名を掲げて謡い方を詳説。能作者の第一級資料)
1430 三十五番目録(世阿弥から禅竹へ相伝された謡本の目録)
1430 申楽談義(世阿弥次男元能の聞き書き。当時を知る一級資料)

2.織豊期資料(室町末期~織豊末)

1570 観世信光1518~1573写本(生没年から50才頃と推定。100曲。信光は音阿弥の七男で小次郎とも称し、嫡男の長俊1488頃生~1541頃没と共に能本章句改訂に関わった。

1576 観世元頼1518~1573or1574系写本(天正4年1576書写本。一部天正期1573~1592含む。74曲。元頼は長俊の嫡男で小次郎とも称した脇ワキの為手シテ。信光・長俊・元頼3代で観世流最古の節付揃本83曲を遺した。)
1596 車屋謡本(天正初年1573~文禄5年1596鳥養道晰ドウセツ?~1602書写。113曲。道晰は関白秀次の祐筆的能書家で屋号が車屋。謡抄編纂に深く関与。)

1600 謡抄ウタイノショウ(1595年秀次下命から5年後を想定:後代に各種写本あり。110曲。謡抄は秀次の命により京都五山の高僧等が、謡曲を古典と見做して編纂された最初の注釈書。)

3.江戸初期資料(織豊中期~江戸初期)

1590~1668 江戸初期能番組7種(1991~2000年の法政大学演能記録調査研究グループ成果。別途内容紹介予定。)

以上の資料で把握できる時代区分を図で示します。
1.の世阿弥時代から2.織豊期までは、140年の時間があり、その後の2.織豊期・3.江戸初期はほぼ連続している関係になります。令和の現在はその後さらに300年を経過した時点ですから、充分に古い時代のことを把握しようとしていることになります。精神性の高い「能」が現代と数百年前とで、同じように人々から受け止められていたのか、まったく異なる曲趣が歓迎されたのか、興味のあるところです。能楽外縁観測第5部では、600年前に大成された「能」の演目の変遷から、現行曲との関係を見て行くこととします。

次回から上の各資料の紹介を含め、演目の変遷等を順次掲載する予定です。

引き続き第5部をご覧になる場合は、「謡曲の統計5」から進んでください。

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