その他 能楽外縁観測 第5部-5 世阿弥期演目の総数など
2023-08-15
これまで世阿弥期の定義を明確にしていませんでした。第5部では、世阿弥が12才で足利義満将軍の前で初めて演じた永和元年=1375を始期とします(12才は応安7年=1374年ともいわれています)。終期は、世阿弥が72才で佐渡へ配流された永享6年=1434年とします。なお、この前年には音阿弥が三世観世大夫を継承しています。従って世阿弥期とは1375年から1434年の60年間を指すことになります。
第5部では、世阿弥期演目について①表章オモテアキラ「能の変貌――演目の変貌を通して」(1990法政大学学術機関リポジトリ)を基にして見てきました。世阿弥期演目を調べていたら②竹本幹夫「三道執筆以後の世阿弥の作風」(中世文学会秋季大会1966)にも世阿弥期演目を示す内容のあることが分かりました。
①表章論文では、世阿弥期演目は散佚曲などを入れて138曲とされていました。ここには散佚曲22曲が含まれますが、その過半は既に廃曲だったと記しており、仮に12曲を差し引けば観世座以外を含め126曲が世阿弥期の演目総数となります。演目掲出に当たっては「演目の変遷から能の変動」を追求して、世阿弥伝書や世阿弥自筆能本及び永享年間の演能記録等を参照し、当時の演目でなかった曲を除いたが、一部に厳密さを欠くとしています。(世阿弥伝書については能楽外縁観測第1部をご参照下さい。永享は室町初期の1429~1441年。)
②竹本論文では世阿弥作または世阿弥改作の作品や観世座で上演されていたと思われる108曲(散佚12曲を含む)を記し、他に世阿弥伝書に見えるが、他座の演目・世阿弥以前の作と明記された廃曲及び作者不明の古作23曲(散佚16曲を含む)を挙げています。合わせて最大131曲が世阿弥期の演目としています。こちらも散佚曲の半数14曲を廃曲と仮定すれば、117曲となります。演目の掲出は「世阿弥の能作活動」を追求して、世阿弥伝書、一部の世阿弥能本及び「建内記(永享元年1429笠懸馬場猿楽観世座所演曲)」を参照し、観世座以外を含め当時の上演が確実と思われる曲に限定しています。
両者とも世阿弥伝書として申楽談義・五音・三道・三十五番目録を参照していますが、①には永享年間の演能記録、②には世阿弥の音曲口伝付記と建内記も挙げています。演目数は観世座以外を含めて、①表章126・②竹本117曲となり、世阿弥期の演目は観世座以外を含めて120曲前後と解して大きな違いはないようです。このうち87曲が現行曲となっており、600年前の演目の7割以上が現在に引き継がれていることになります。予想はしていても驚くほどの多さです。その後、曲目は増加し現行曲はほぼ倍増の248曲となっています。それでも全体の1/3強が世阿弥期の演目で占められているのです。この関係を図示すれば次の通りです。

グラフでは世阿弥期演目数を①表章論文から導かれた126曲を採用しています。
グラフの中で現行曲の世阿弥期演目以外の曲161曲には、世阿弥期以後に創作された曲が大半を占めると思われますが、世阿弥期に既に完成していた曲で、世阿弥期には演じられなかった曲及び今日において世阿弥期の演目として把握できなかった曲が少なからず含まれていることも考えられます。
①・②論文を現行曲に限って比較すれば、両者の相違は次の通りです。
①にあって②にない曲:元服曾我・昭君(王昭君)・藤栄・夕顔・淡路・合浦(合浦の玉)・泰山府君・室君(棹の歌)の8曲。
②にあって①に無い曲:采女?・千手(千寿)・雲雀山の3曲
少し横道にそれますが、世阿弥伝書の一部として①②とも掲げている「三十五番目録」について、竹本幹夫「『能本三十五番目録』考」(1997.7/20法政大学学術機関リポジトリ)から、補足しておきます。
これは世阿弥から金春禅竹へ応永末期(1423頃~1428)に相伝した能本の目録を指しています。目録と呼んではいますが、実態は能本1番綴20冊弱が包める大きさの和紙で、カタカナ主体で曲名が記されたものです。世阿弥自筆と伝えられていましたが、禅竹筆の可能性が大です。しかも一度に35曲を書いたものではなく、何回かに分けて書き継がれ、中には後代の記入(マタカシワザキ・トモアキラ・ヨロホシ・竿ノ哥之能)もあり、非現行曲も多く含まれています。
目録35曲のうち現行曲の18曲を50音順に示しておきます。
井筒 歌占 雲林院 江口 柏崎 隅田川 当麻 田村 東岸居士 朝長 班女 放生川 松尾 御裳濯?(御裳濯川) 盛久 山姥 弓八幡?(八幡) 弱法師
(付記:「センシュ」は現行「千手(千寿)」とは異曲の非現行曲と判断。「タツタヒメ」も現行「竜田」と別曲の非現行曲と判断。)
また②竹本論文によれば、外縁観測第2部で示した作者付けと異なる曲が12曲ありました。その内訳を第2部での作者付けと併記すれば次のとおりです。
葵上:犬王原作世阿弥改作→世阿弥作ではない(作者不詳)。
花月:世阿弥作かも→世阿弥作ではない(作者不詳)。
咸陽宮(秦始皇):作者不詳→世阿弥作か
春栄:世阿弥作か→世阿弥作
蝉丸(逆髪):世阿弥勉年作→世阿弥作ではない(作者不詳)。
草紙洗小町(小町):作者不詳→世阿弥作か
田村:禅竹かも→世阿弥作か。
東岸居士:作者不詳→世阿弥作か
東北(軒端梅):禅竹かも→世阿弥作か。
富士山:世阿弥原作禅鳳改作か→世阿弥作
松浦佐用姫(松浦):世阿弥作か→世阿弥作
水無月祓:世阿弥作か→世阿弥作
まとめれば、推定を含む世阿弥作が3曲(-6+9)増え、禅竹作が2曲減り、禅鳳作も1曲減り、作者不詳が±0曲(-3+3)となります。確かに、田村・東北のように、世阿弥から禅竹へ相伝された謡本の曲を禅竹作とするのは不自然であり、修正するのが妥当と判断されます。
次回からは、江戸以前(室町中期から織豊期)の演能状況を見ることとします。
引き続き第5部をご覧になる場合は、「謡曲の統計5」から進んでください。