その他 能楽外縁観測 第5部-6 江戸以前の演能資料
2023-08-31
これからは世阿弥期後の室町中期から織豊期の演能状況を見ることとします。
このうち第5部-序では、織豊期の資料について4種の古謡本を掲げていましたが、第5部-1で紹介した表章オモテアキラ「能の変貌――演目の変貌を通して」(1990法政大学学術機関リポジトリ)論文を引き続き参照することとします。古謡本の内容については、別に紹介することとします。
表章は昔の演能状況を知るには、第一に演能そのものの記録、第二に伝書に見える能に関する記事が大切で、作者付けや謡本集で見られる曲名は参考資料にしかならない、としています。そして、室町中期から江戸以前の演能状況を知る資料は、全体でも400種たらずしかなく、時期によってその数も偏在していると記しています。(「種」は種類の意と思われますが、能の番組=プログラムの件数などを指しているようです。)
その資料年代と件数は次のようになっています。全体で150年間・397件です。
①享徳元年~享禄4年(1452~1531)79年間:44件
②天文年間(1532~1555)23年間:116件
③弘治~天正年間(1555~1592)37年間:108件
④文禄年間~慶長7年(1592~1602)11年間:129件
これをグラフで示すと次のとおりです。

①は、ほぼ室町中期にあたり、79年間で44件の資料しかなく、年間平均では0.56件になります。
②は、室町後期にあたり、年平均5.04件の資料があることになります。
③は、室町末期の17年間と織豊前・中期の20年間にあたり、計37年間で108件の資料があり、年平均で2.92件となっています。
④は、織豊後期にあたり、年平均で11.73件と他と比べ非常に多くの資料のあることが分かります。
年間平均の資料数で見ると、①と④では21倍も差があります。資料が当時の演能状況全体のどれ程を把握しているのか分かりませんが、演能回数が資料数の多寡に対応するとすれば、①室町中期の演能状況は応仁の乱に始まる戦乱・混乱で、演能もままならず、記録の散佚も激しかったものと想像されます。
ここで、①室町中期の演能状況を見ることとします。
享徳元年1452~享禄4年1531の79年間で44資料があり、演目数は154曲で310回(曲目単位)の演能があったとされています。
154曲の内訳は、世阿弥期にもあった演目が65曲で157回の上演(うち現行曲は58曲・143回)があり、世阿弥期に演じられていなかった曲が89曲で153回の上演(うち現行曲は54曲・105回)となっています。これをグラフで示すと次の通りです。
全154曲は、A世阿弥期にもあった演目の65曲より、B世阿弥期に演じられていなかった曲が89曲と多くなっています。この新たな24曲は、世阿弥期以後の作品が多数を占めると思われますが、世阿弥期またはそれ以前の作品も上演されているようです。いづれにしてもこの時期に曲目が約3割も増加したことを示しています。
また、A世阿弥期演目ではその9割が現行曲となっているのに対し、B追加曲では現行曲は6割しかありません。室町中期で追加された曲は世阿弥期の曲より現在に伝存する割合が少ないことが指摘できます。世阿弥期以後の作品は現在に演じられる割合が低くなっていることになります。
それでも、全体として室町中期演目の7割以上が現行曲として演じられているのは注目すべきことでしょう。
次に、室町中期の演能回数の内訳をグラフで示します。

室町中期の演能は、曲数では世阿弥期演目より追加曲が多かったのですが、演能回数では逆転しています。その内訳を現行曲について見ると、世阿弥期演目が46%で追加曲が34%となっています。室町中期演能の80%(46+34)が現行曲で、非現行曲は20%(5+15)の回数となっています。
曲の区分ごとの上演回数を、その区分の曲数で割って得られる上演頻度で見ると、全平均が2.01回/曲(310/154)となるのに対し、A世阿弥期演目の現行曲の頻度は2.42回/曲(143/58)とやや多く、B追加曲で非現行曲が1.31回/曲(46/35)とやや少なくなります。
次に上演回数に戻って見てみます。室町中期の79年間で「能」が310回(曲単位)上演の記録がありました。実際の演能のどれ程を捕捉しているか分かりませんが、戦乱期を考慮しても、年間平均で3.9回の上演とは余りも少ないと思います。
ちなみに現代の演能回数を調べてみます。第2部-2で紹介した大角征矢氏の演能実績データでは、昭和25年からの60年間で72420回となっており、年間平均で1000回を超えています。これは観世流の有料公演が集計対象なので、宝生流等も加えれば2000回を超えるものと思われます。(2023年現在の能楽協会のシテ方会員に占める観世流の割合は346人/689人=50%から、観世流以外の能も同程度の演能回数があると想定しました。)
しかし、当時と現在では人口が大きく違います。人口と演能回数が比例するとは思いませんが、考慮しない方が不自然です。1500年頃の人口は約1000万人と思われます。2020年は1億2500万人なので、人口は12.5倍になっています。
人口要素を考慮して3.9回を12.5倍にしても50回/年にもなりません。現代の2.5%の演能頻度です。当時の演能の捕捉率を考慮したとしても、その差は歴然としています。現代は日本各地で演能がありますが、当時は京都が中心で、大阪や奈良周辺の演能は限定的だったと思われます。それにしても、現代の演能状況が室町中期の20倍とは、現代が異常に増大しているのかも知れません。「能」の人気が沸騰していていると解するのが正しいのかもしれません。「能」にはそれだけ魅力的な要素が備わっていたと言えます。世阿弥も想像しなかった状況といえるでしょう。
次回は室町中期演目と曲名別の演能回数などを掲載します。
引き続き第5部をご覧になる場合は、「謡曲の統計5」から進んでください。