その他 能楽外縁観測 第5部-10 5種勧進能のまとめ
2023-10-30
第5部-7で示した室町中期演能と、前節の5種勧進能の根拠資料の時代範囲は、世阿弥期以後であり、前者は室町中期を幅広にとった80年間であり、後者は室町前期と中期の境界付近から室町末期に至る101年間となっており、このうちの68年間は重複しています。この期間については、前者と後者で演能データがダブっていると思われます。前者は勧進能以外も収集しており、期間が短くとも演能データは多くなっています。
これを踏まえた上で、室町中期の演能と5種勧進能の演能回数及び曲数の関係を見てみます。前者に対し後者はどれ程の比重を占めるかなどを次表にまとめました。
演能回数では、5種勧進能は室町中期の回数に対して46%、曲数に対して66%を占めていることが分かります。回数はともかく、室町中期の2/3の曲目が5種勧進能で演じられており、僅か5種の資料ですが充分にこの時代を反映する内容となっています。
世阿弥期演目の継続性を見ると、室町中期は42%が継続曲で、5種勧進能では41%とほとんど変わりがありません。
現行曲との関係で見ると、室町中期の73%から5種勧進能で82%に増加しています。新しい曲が増加した時期だったにもかかわらず、現行曲として伝存する割合が増えているのは注目されます。勧進能は現代に通ずる人気曲を育てたとも言えるのではないでしょうか。
次に、5種勧進能の演能日数や演目数等を一覧表にし、現行曲と世阿弥期演目の曲数構成比を示します。(演能回数単位で算定しています。)
5種の勧進能は全体として、18日間で142番の能が舞われ、その85%にあたる121曲(演能回数単位)が現行曲であり、世阿弥期演目が46%の65曲を占めていたことが分かります。
どの勧進能も現行曲として伝存する曲がほぼ8割以上を占め、特にⅢ.とⅤ.は90%以上となっており、世阿弥期以後の室町期勧進能の非常に多くの曲が現在に継承されていることが確認できます。
世阿弥期演目の室町後期への継続では、全体で46%に留まり、新しい曲が演じられたことが分かります。特にⅣ.は大和四座(観世・金春・宝生・金剛)以外の座によるためか34曲中の10曲(29%)だけが世阿弥期演目となっています。しかし、この日吉大夫の主催した演目の76%・26曲が現在に伝存しており、大和四座以外の曲目も現在に生き残っていることを示し、能楽には良い曲を取り入れる柔軟さがあったと言えるのではないでしょうか。
5種勧進能まとめの最後に、現代人気度を確認すると、次のとおりです。人気度区分の詳細は第5部-1を参照してください。

全体として現代でA大人気曲とB人気曲で約5割を占め、現代60年間で60回以上演じられたCを加えると77%に上ります。500年前の勧進能演目の約8割が現代で一定以上の頻度で演じられていることになります。
5種の勧進能は多くの中から時代を代表し、演目の幅を見るために特徴的な催しを選定したと思われ、上図にもそれが現れているようです。Ⅲ.とⅤ.は非現行曲が少なく、A+B+Cが約9割を占めています。これに対しⅡ.とⅣ.は非現行曲が他より多めで、A+B+Cは6割強にとどまり、現行曲であっても現代の60年間で年平均1回以下のDが3曲ずつ入っています。いわば希曲・珍曲が演じられた勧進能に目を向けたものと思われます。
5種勧進能で同じ曲が何回演じられたかを見てみます。4回の曲が5曲あり、以下3回=3曲、2回=20曲、1回=73曲でした。全体では101曲・142回です。
その内訳は次のとおりです。曲名に続く〇印は世阿弥期演目の継続曲、△印は世阿弥期演目になくて室町後期で追加された曲、×印は非現行曲です。A~Eは現代人気度です(Aは大人気曲、Bは人気曲、Cは時々演能、Dは稀に演能、Eは実績調査対象外。詳細は第5部-1参照)。曲名ゴシックは現代で大切にされている習い物曲です。
5種勧進能で4回演能の曲=5曲:邯鄲△A・当麻〇C・二人静△B・松風〇A・三井寺〇B
3回=3曲:定家△C・朝長〇C・山姥〇A。
2回=20曲:以下曲名略。A=5曲(〇4曲、△1曲)・B=3(〇のみ)・C=8(〇2、△6)・D=1(△のみ)・E=0・非現行=3曲。
1回=73曲:A=12曲(〇6、△6)・B=19(〇7、△12)・C=17(〇6、△9)・D=6(〇2、△4)・E=4(〇2,△2)・非現行=15曲。
世阿弥期以後の室町期の勧進能で複数回演能の曲は、人気度C以上が86%(24/28)を占め、1回だけの曲はC以上が66%(48/73)に下がります。なお、Cは現代の60年間で60回以上演じられている曲です。
現行曲との関係で見ると、勧進能で4or3回演能の曲は100%が現行曲で、2回は85%、1回が79%となっています。
以上5種勧進能の曲別演能回数を、人気度や現行曲の割合から見ても、室町後半期の人気曲がそのまま現代に引き継がれているかのようです。人々の能への気持ちは今とあまり変わりがないのでしょうか。
表章論文では室町後期の演目について次のよう記述しています。
【5種の勧進能の演目や、他の諸資料によって得られる感触に基づいて言えば。世阿弥没後の能の展開期(室町中・後期)には、世阿弥期演目に、観世元雅や金春禅竹の作品など世阿弥直後の時期に作られた能が加わり、非主流猿楽の間に温存されていた古い作品群の一部の復活や、地方猿楽の演目の流入、観世信光・金春禅鳳・観世長俊らの室町後期の作者の新作の普及など、演目の面での激動期であったと思われる。応仁の乱の前後からの社会的変動が能の演目にも大きく影響したであろう。
そうした混沌たる状況の中で、時代の好みに合わない作品が漸次淘汰され、世阿弥系の歌舞能の優位は不変だったものの、演目の種類が多様化し、能芸に幅と深みを増しつつ、諸座・諸流の分を合わせて約200曲前後の能が演じられていたのが、室町末期の状況のようである。
一人の大夫が演じ得る能の数にはおのずと限界があり、戦乱期の能役者の地方進出(一座分散)は多数曲を伝承し続けることの困難さを招きもしたであろう。室町末期の天文・永禄(1532~1570)の頃に新作の風潮が衰えたことも、演目拡大が限界に達していたことを思わせる。
演技の型が確立し、能や囃子や謳ウタイを素人に教授することが能役者にとって重要な仕事になってきたことも、演目の淘汰・整理を促したろう。次代で資料的に確認できる演目の減少は、室町末期にすでにかなり進行していたのではあるまいか。Ⅴ.の演目の幅の狭さなどがそれを思わせる。】
能楽大辞典(2012筑摩書房刊・小林責等著)の勧進能の項では、世阿弥没後の室町中期頃から、勧進猿楽と称しながらなんら勧進の実質を持たず、単に演ずる役者の収入増を目的とした猿楽興行が出現し始め、室町末期には勧進名目の明らかな催しは殆どなくなった。江戸時代になると、勧進猿楽の語は廃れ勧進能が一般的となった。と記述しています。
江戸期の勧進能については、別項を設けて記すこととします。
次回は2023.11/15に第5部第-11「室町期の曲目別演能頻度」を掲載する予定です。
引き続き第5部をご覧になる場合は、「謡曲の統計5」から進んでください。