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その他 能楽外縁観測 第5部-13 車屋謡本について

2023-12-14

車屋謡本とは、金春大夫喜勝(1510~1583・金春禅鳳の孫)の高弟で、御家オイエ流書家として高名でもあった鳥飼トリカイ道晰ドウセツ(生?~没1602頃・車屋は屋号)が関与した一群の謡本を言います。

写本と刊本があり、織豊始期の天正元年1573年から江戸初頭の慶長末年1615年まで制作されたようです。道晰は関白秀次に仕え、詞章の解説に尽力し、次節で紹介する「謡抄ウタイノショウ」編纂にも深く関わっています。

車屋謡本の全体像を掴むのは容易ではありません。
 
写本については、野上記念法政大学能楽研究所/能楽資料デジタルアーカイブ/吉川家旧蔵車屋本(21冊・110曲)で閲覧が可能です。

その解題では【綴帖装小型本。吉川家旧蔵。鳥養流の書家で、金春喜勝の謡の弟子でもあった鳥養道晰(宗晰)の手に成る車屋謡本の一種。天正初年以前から文禄五年にわたる二十数年間に道晰が書写した謡本で、道晰の書風の変遷を知る上でも貴重な資料。重要文化財。】とあり、織豊期の1573~1596年の間の写本と分かります。

21冊の内訳は、5番綴りが17冊、6番綴りが3冊、7番綴りが1冊となっています。また、110曲の内訳は、現行曲が80曲(重複している国栖を除く)、非現行が29曲となっています。

刊本については、法政大学学術機関リポジトリ/「車屋謡本刊本考 : 鳥養道晰が作った謡本」論文(著者:伊海孝充、出版者:法政大学能楽研究所、雑誌名:能楽研究、巻:44、ページ:52、発行年:2020-03-25、URL:http://doi.org/10.15002/00023224)で全体像が把握できます。

これによると、刊本の車屋謡本は、古活字本・整版本・擬車屋本に分けられ、古活字本には天理大学付属天理図書館蔵本、法政大学鴻山文庫蔵本、上野学園大学日本音楽史研究所蔵本の3種があり、整版本にも天理大学付属天理図書館蔵本、法政大学鴻山文庫蔵本、龍谷大学蔵本、九州大学附属図書館蔵本、上野学園大学日本音楽史研究所蔵本、法政大学能楽研究所蔵本の6種があり、さらに法政大学鴻山文庫蔵本には2番綴り、5番綴り、茶表紙1番綴り、紺表紙1番綴り、包背装5番綴りの5種があり、龍谷大学蔵本もA版とB版があります。細かく見れば、11種の版があることになります。また、擬(偽)車屋本は98曲(現行曲95、非現行3曲)を所収して、体裁や書体が似ていることから広義には車屋本と呼ばれています。しかし、道晰が直接関与した謡本ではないので、ここでの検討から除くこととします。

従って、刊本所収曲は擬車屋本を除いて曲目の重複を整理すると113曲となります。ここには非現行曲4曲(鵜羽・現在鵺・矢卓鴨・行家)を含み、現行曲は109曲となります。各版の所収曲数は次のとおりです。

古活字本:天理22曲、法政鴻山19曲、上野2曲(道成寺・山婆)の延43曲ですが、天理と法政鴻山に4曲(井筒・鸚鵡小町・皇帝・野宮)の重複があって計39曲となります。現行曲は鵜羽・行家を除いた37曲となります。

製版本:天理35曲、法政鴻山71曲、龍谷51曲、九大16曲、上野2曲、法政能研1曲の延176曲ですが、法政鴻山版の71曲に含まれない曲は、他の版に1曲もありませんので、正味71曲となります。非現行曲の鵜羽・藤渡・矢卓鴨を除くと、現行曲は68曲となります。

以上より、織豊期の車屋謡本としては、写本の法政大学吉川家旧蔵の110曲(現行は80曲)・古活字本の現行37曲・整版本の法政大学鴻山文庫蔵の71曲(現行は68曲)の3種を見れば良いことになります。この謡本集の成立の前後関係は明確になっておりません。通常は写本→刊本の順ですが、車屋謡本については必ずしもそうではないようです。いずれにしても織豊期(1573~1603年)の作業が元になっていると言えます。

写本は非現行曲を1/4以上も含むのに対し、整版本は非現行曲が3%未満、古活字本は5%、と極端に少ないのが注目されます。写本は道晰が希曲をコレクション的に集めた節があり、金春流の謡本ですが、道晰は観世流をも参照したとされており、版本で現行曲が殆どを占めるのは自然なことと思われます。

なお、整版本は、法政大学鴻山文庫蔵の2番綴35冊(1冊だけ3番綴)を、野上記念法政大学能楽研究所/能楽資料デジタルアーカイブ/整版車屋謡本(35冊)から閲覧できます。

その解題には【袋綴の美濃本(253×179ミリ)。三十四冊が二番綴、一冊が三番綴で、計七十一曲。藍色表紙に、金泥絵入り鳥子紙長形書題簽があるが、針穴や曲名文字の裁断の形跡から、この表紙は江戸中期の改装と思われる。従来知られている整版車屋本の中で、最も曲数が多いのが本書。本書の七十一番が刊行された整版車屋本のすべてか。】とあり、道晰の関与した謡本集の全体であり、没年である織豊末年の前年(1602年)までには原稿が揃っていたと判断されます。なお、この71番集謡本は、我が国のひらがなまじり刊本の走りであり、最初の版行謡本となっています。

以上を整理してグラフにすると次のとおりです。
非現行曲が写本で多く、刊本と古活字本で少ないことがよく分かります。
次に、3種の車屋謡本集の現行曲所収状況をグラフで示すと次のとおりです。(内容的には上のグラフと同じものです。)
同じ車屋本グループなのに、3種共通で所収の曲が10曲の8%と少なく、2種で共通も35曲の27%にとどまり、3種でそれぞれ独自の所収曲が48+27+10の85曲で65%を占めています。3種の謡本集は収集する機会や目的などが異なっているものと想像されます。結果として全体で130曲の現行曲を収めることになったようです。

室町末期以後、この車屋謡本で追加された現行曲は24曲となります。その曲名を示しておきます。

凡例
A~Bは現代の人気度/演能頻度(詳細は第5部-1参照)
ゴシックは習い物曲

愛宕空也E 雨月C 絵馬C 大江山C 大社D 枕慈童(菊慈童)A 木曽C 国栖B 胡蝶B 佐保山E 俊寛A 正尊B 禅師曽我D 草紙洗小町B 谷行D 仲光C 祢覚(寝覚)D 橋弁慶B 初雪E 飛雲D 雲雀山C 和布苅C 輪蔵D 籠祇王E (金春流の枕慈童は観世流の菊慈童のことです。なお、観世流には別曲の枕慈童があります。)

現代でAまたはBの人気曲が7曲=29%、時々演能のCも7曲=29%、稀に演能と演能実績調査外の曲が一番多い10曲=42%を占めています。追加曲としては現代で一般的な曲が過半数を占めながらも希曲が多いように思われます。

この追加された曲の成立下限年を見ると、絵馬と大社の成立年不明以外の25曲全部が室町時代の1524年以前となっており、6曲は室町中期の1488年以前となっています。つまり、車屋謡本で追加の曲は織豊期で作られた曲ではないということです。以前からあった曲がたまたま演能記録に残らなかったか、観客等の好みに合わずに演能されず、この時期に謡本として追加曲の形になった可能性が強いと思われます。



次回は2023.12/31に第5部-14「謡抄ウタイノショウについて」を掲載する予定です。

引き続き第5部をご覧になる場合は、「謡曲の統計5」から進んでください。

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