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その他 能楽外縁観測 第5部-14 謡抄について

2023-12-27

謡抄ウタイノショウとは、最も古い謡曲の注釈書です。織豊末期に謡曲を古典と見て詞章の単語等について故事来歴などを交えて丁寧に解説しています。それまで発音を大切にしたためかカタカナ書きだった能本に、正確な漢字を当てて詞章を整えました。折しも版本時代の始まりに当たり、以後の謡本版行に大きな影響を与えました。

文禄4年1595年3月に時の関白・豊臣秀次(秀吉の甥)の命により編纂が始まりました。世阿弥没から152年後のことです。京都五山の長老や当時の第一級文化人が大動員されました。具体的には、相国寺の有節周保(瑞保ズイホ)1548-1633・南禅寺の英甫エイホ永雄ヨウユウ1547-1602・連歌師の里村紹巴ジョウハ1525-1602と里村昌叱ショウシツ1539-1603・公家で神道家の吉田兼見1535-1610・関白秀次にも仕えた公卿の山科言経トキツネ1543-1611・金春大夫の祐筆的役割を果たした鳥養トリカイ道晰ドウセツ?-1602の7名が著者として名を連ねています。世阿弥が遺した「風姿花伝」等が秘伝とされて世に出ることがなかったため、江戸期において謡曲作者を五山の僧達に仮託する向きのあったことも、「謡抄」編纂グループの存在が影響したのかも知れません。同年7月の秀次粛清によってグループも解散しましたが、道晰や言経の努力で慶長5年1600年頃にはまとめられたと言われています。

注釈は金春流謡曲本文を元にしていますが、一部に観世流をも参照しています。当初は秀次の意向で100曲が選定されていましたが、直後に秀次の命で102曲に増加し、編纂作業や版を重ねる中で110曲程度まで増補されました。

内容は謡曲の章句に細かな説明を付けています。注釈文は数文字で終わるものから、10行以上に及ぶ長文もあります。高砂で例示すれば、短いものは「不思議:オモヒハカラザルコトヲ云ナリ」などで、長いものは「始皇ノ御爵ニ預カル程ノ木也トテ:始皇ハ秦始皇帝也爵ハ位ノ義也位トハ官ノ類也始皇帝上奏山風雨暴至休於樹下因封其松為大夫史記本記ニアリ秦始皇泰山ニ上リ封禅ト云祭ヲスルソ積土為壇上ヲ髙メ壇ヲツイテ祭ルソ封ハ天ヲ祭ルヲ云ヒ禅ハ地ヲ云ソ始皇泰山ヨリ下ル時俄ニ風雨アル程ニ五本アル松ノ下ニ居テ雨ヲシノカレタ其恩賞ニ五本ノ松ヲ一本ツゝ大夫ノ官ニナサレタ是ヲ五大夫ト云也秦ニテ大夫ノ官ハ結構ナル官也秦ノ三公ハ丞相御史大夫大尉也唐ハ時代ニヨリテ三公ノ名替ルソ」などです。謡曲として比較的に短い高砂で、50前後の項目を立てて解説しています。版行本なのですが、版の種類によっては崩した草書があり、句読点や濁点のない古文で現代人には読みにくくなっています。しかし、中国の文献を引用するなど細かな説明を加えていることなどが読み取れます。

参考までに国立国会図書館デジタルコレクションから高砂の冒頭の画像を載せておきます。(「謡注甲集」[1]2/47コマ)
また、寛文2年1662年には謡抄より詳しい諷増抄ウタイノゾウショウ12巻を加藤磐斎バンサイ1625~1674が刊行しています。ここには高砂・盛久・江口・大原御幸・阿漕・養老・頼政・軒端梅(東北)・百万・自然居士・老松・通盛・千手重衡(非現行曲)・二人静・殺生石の15曲が収められ、巻頭に世阿弥の「風姿花伝:序・神儀編」を引用し、謡曲作者一覧「能本作者注文」を付しています。

謡曲の解説としては、非常に詳しい謡曲拾葉抄(全20巻・101曲・現行曲のみ)があります。観世流の詞章に対し、犬井貞恕テイジョ1633~1702が注釈し、宜華庵ギカアン忍□ニンクウ(□は金偏に空。空華庵クウゲアン忍鎧ニンガイとも)1670-1752が大幅増補した版が江戸後期の明和9年1772に刊行され、明治に至るまで注釈書として重宝されていました。

ネットで約100曲を注釈している「謡抄」を検索し、代表的と思われる版を挙げると次のとおりです。いずれも1600年頃成立の書が元となっています。

①守清本10冊101曲:野上記念法政大学能楽研究所・能楽資料デジタルアーカイブ。慶長年中(1596~1615)刊行。謡曲注釈書の版本として最古。

②台林本10巻101曲:京都大学貴重資料デジタルアーカイブ。有節周保他著。台林は慶長二十年1615より元和二年1616春まで徳川家康の駿河版刊行に際し京都より下りて事に従ひし者なれば本書は恐らくその帰洛後に刊行せるものならん、とあり、1620年頃刊か。

③光悦表紙本10巻100曲:京都大学貴重資料デジタルアーカイブ。有節周保他著。慶長頃の活字版に基き整版を以て覆刻したるものと推定せらる無匡ムキョウ(各頁を枠線で囲んでいない)十行本なり。表紙が光悦謡本に似ているが、伊藤正義は1977「謡抄考」で光悦本を否定。1633年刊か。

④謡注甲集20巻100曲:国立国会図書館デジタルコレクション。慶長年間(1596-1615)刊。著者;瑞保、有節周保、英甫永雄、山科言経、鳥飼道晰等。

⑤観世文庫蔵版10冊100曲:観世文庫アーカイブ79/1/1~10で閲覧可。江戸前期写刊。

以上5種の版の曲名を照合すると、曲数は全部で112曲となり、版により若干の違いがあり、掲載順も異なっています。一覧で示すと次表のとおりです。
全112曲のうち現行曲は108曲で、非現行曲の少なさが注目されます。能の新作は室町で止まり、織豊期にはほぼ固定化したことの現れです。

現行曲で見ると、5種全部に掲載が82曲;76%を占め、4種に記載が4曲;4%、3種に記載が14曲;13%、2種に記載が6曲;6%、1種のみ記載の曲が2曲;2%となり、3種以上に所載の曲が93%と大多数を占めています。

照合して気付くことは、①と②は歌占と通盛の出入り以外は同じで、掲載順が違っているだけであり、③と⑤は曲も掲載順も全く同じになっていることです。④が他と少し違う所収状況となっていました。また、5種ともにほぼ1~5番の曲柄を意識した順で掲載され、④は1冊に10曲、その他は1冊に5曲を収めています。

5種で所載の現行84曲の曲名も載せたいとこころですが、室町・織豊期を通じた一覧として、後日に載せることとします。なお、謡抄で新たに追加された曲は、大原御幸と三笑の2曲だけです。

織豊期の能楽状況を概観すると次のようになります。

能の新作がほぼ止まり、曲目が200曲弱程度に固定されました。特筆すべきは豊臣秀吉1537-1598が能に熱中し「太閤能」を演じ、贔屓の金春と共に観世・宝生・金剛の大和4座を配下において「配当米」を与えて保護したことです。このために他の座は吸収されたり消滅したりしましたが、能楽界を安定させ、後代に継続させる制度となりました。また、下間シモツマ少進ショウジン(仲孝)1551-1616の活躍も欠かせません。少進は本願寺の高位坊官で金春大夫喜勝(笈蓮)から金春流の秘伝まで授かり、当時「手猿楽」と称する素人役者の第一人者とされ、関白秀次の猿楽指南を務め秀吉や家康にも猿楽を披露しています。そして、1588年から1615年の演能記録「能之留帳」を遺しました。ここには自身が演じた約1200番について、演能日時・場所・演者名・主客などが克明に記され、他にも、能の型付「童舞抄」、能の作り物「舞台之図」などを執筆しています。いずれも当時を知る貴重な資料となっています。

次回は2024.1/15に第5部-15「室町織豊期の演能等記録のまとめ」を掲載する予定です。

引き続き第5部をご覧になる場合は「謡曲の統計5」から進んでください。

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