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その他 第6部-3 江戸初期の演能回数など

2024-03-12

「江戸初期能番組七種」論文は、研究チームがコンピューターに入力してデータベースを構築して記述していますが、そのデジタルデータを直接利用できる道があるのか分かりません。また、論文では個々のデータを横書き文章で展開していますが、曲目数や演能回数等についての集計値は一切示されておらず、ブログ子としてはPDFから読み取って数えるしか方法がありません。(せめてExcelで公表されれば良かったのに…。曲別の演能回数を数えるだけでも大変な作業です。)このため、演能回数やその時期については、僅かとは思いますが、数え違いなどの誤差があるかも知れません。予めご了承をお願いします。

論文では、全79年間を次の「あ~こ」の10区分で番号付けしてデータを展開しています。曲別に読み取って集計した回数を区分ごとに付すと次表のとおりです。但し、曲目不明祝言曲400回、曲目不明10回は除外しています。なお、資料は1590年からの演能記録を収集しており、1603年までは織豊時代なのですが、論文の表題も江戸初期としているので、織豊後期を含めて江戸初期として記述しています。(第5部以降では、安土桃山時代を織豊時代と記し、始期を元亀4年1573年の室町幕府滅亡、終期を慶長8年1603年の家康への将軍宣下センゲとしています。秀吉の関白宣下は天正13年1585年でした。)
 
79年間をひとまとめに検討することも出来ますが、一定の期間区分で検討するほうが興味深いと思います。但し、上表の10区分は期間の長さや資料数のバラつきが大きいので、将軍等の任期区分に対応させて4区分にすることとします。上表との対応は、①=あ、②=い+う、③=え+お+か+き+く、④=け+こ、とします。

この4区分の演能回数を将軍及び年代と関連させてグラフにすると次のとおりです。区分ごとの期間年数・年平均演能回数も表示しました。
各資料の記録範囲が将軍任期と対応していないので、1~4年のズレがありますが、①は秀吉・家康時期、②は秀忠期、③は家光期、④は家綱前期にほぼ対応していると言えます。

グラフより、江戸初期の79年間で4760番の演能があり、平均で60番/年となり、①秀吉・家康時期は39番/年、②秀忠期はほぼ倍増して約77番/年、③家光期もほぼ同じ74番/年でしたが、④家綱前期は半減して①より少ない34番/年となりました。
将軍によって演能回数が大きく変動しており、それぞれに事情があったものと推察されます。期間ごとの演能曲目に目を向けると、その傾向が見られるかも知れません。
注)④は歴年では14年間となりますが、中間の資料境界年を別個に算定したので、15年間としています。


何はともあれ、江戸初期約80年間で5000番近い演能があり、年間平均で34~74番は演じられていたことが分かりました。第5部-6で、室町中期の79年間に310回・年間平均で3.9回の演能記録があると記しましたが、江戸初期にはその10~19倍の頻度になっているのです。非常に大きな変化といえるでしょう。このような理解は時代によって演能状況の記録率、その伝存・捕捉率に差はあるでしょうが、傾向としては間違っていないと思われます。

能楽の普及は、室町初期での3代足利義満将軍の世阿弥寵愛から始まって、常に時の為政者に保護された結果でもあります。例をあげれば、室町歴代幕府での新年謡初ウタイゾメ(正月4日の観世大夫による謡初は、8代将軍足利義政:在位1449~1473年の治世には制度として固定化されたようです。音阿弥が観世大夫の時でした。)、上洛を果たした織田信長の能役者への領地安堵の朱印状交付(1568年)、豊臣秀吉の大和猿楽四座へ扶持米フチマイ支給の保護制(1597年)、徳川歴代の将軍宣下能、町入り能や、江戸幕府での謡初め、幕府公認の勧進能、更には幕府による能の式楽化などがあります。そして庶民における「謡」流行も大いに貢献したものと思われます。

それでも現代の年平均演能2000番(5流推計)には遠く及びません。過去の記録収集の限界を考慮しても、その後さらに25倍以上まで増加した過程にも興味を覚えます。

次回は2024.3/31に第6部-4「世阿弥期~江戸初期の演能回数と曲数の推移」を掲載する予定です。

引き続き第6部をご覧になる場合は「謡曲の統計6」から進んでください。

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