その他 第6部-4 世阿弥期~江戸初期の演能回数と曲数の推移
2024-03-28
「江戸初期能組七種」論文を数えて得られた江戸初期の演能回数を、室町時代などと比較して、年間平均演能回数としてグラフにすると次のとおりです。
但し、区分ごとの演能回数と期間は第5部で紹介してきた数値と、江戸初期能組七種から次のように区分して把握しました。
また非現行曲については、室町時代は一定の割合を占めているので回数に含めましたが、織豊・江戸初期については1%前後と僅かなので回数に含めていません。
室町時代
①世阿弥期1375~1434の60年間
②室町中期1452~1564の80年間
③室町後期:勧進能五種の開催は1464~1564の101年間ですが、5種18日間の事なので、1392~1573年の室町時代から①と②の期間を除いた42年間として計算しました。
織豊時代:1573~1603の31年間。写本・車屋謡本・謡抄を元に第5部-16の回数換算基準による擬回数を採用します。
江戸初期
①1590~1605の16年間:秀吉・家康期
②1605~1623の19年間:秀忠期
③1623~1651の29年間:家光期
④1651~1668の15年間:家綱期
現代:1950~2009の60年間。観世流有料演能回数実績7万2420回の2倍(能楽協会会員数で非観世が50%から想定)。
大雑把に言えば、室町時代の年間平均演能回数は4回程度、織豊期で4倍の17回(曲単位番数)程度と限定的で、秀吉・家康期は倍増して39回となり、秀忠・家光時代は更にほぼ倍増して75回前後に増加したことが明らかです。しかし、次の④家綱時代には34回に半減しています。
なお、江戸①は織豊後期13年間と江戸時代の家康期3年間の合計となっており、その内訳は把握できていません。丹念に資料を拾えば判明するのですが、余りにも煩雑な作業となるので実行していません。
次に曲目数の推移をグラフで見てみます。年代区分は上の回数グラフと同じにしました。曲数は重複演能曲を整理し、現行曲と非現行曲を区別しました。比較のために現在の曲数も示しました。(異名異字同曲などは第1部-1で整理して示しています。)

先ず、全体を眺めると現代だけが突出した曲数になっていることです。世阿弥期から江戸初期までは150曲程度以下で推移しているのに、現代は248曲と100曲以上も増えています。一番少ないのが世阿弥期ではなく、江戸初期後半の④家綱期になっているのも注目されます。その後の曲数増加は江戸中期以後に大きな変化のあったことは確実です。
曲数最多は織豊期になっていますが、この曲数は、車屋謡本2種130曲に、織豊初期写本と謡抄にある曲を重複させずに数えたもので、厳密には演能記録の曲名ではないので、割り引いて捉える必要があります。
非現行曲を見ると、既に触れたように能作の進行中だった室町期では一定の曲数が数えられますが、織豊期で淘汰された以後は限られた数となり、グラフ最後の江戸④家綱期にはゼロとなっています。
現行曲数の推移を見ると、世阿弥期から室町末期まで約90から120曲前後へと順次増加し、江戸②秀忠及び③家光期は演能回数の増加と共に曲目数も140曲程度に増加しています。織豊期の数字を例外とすれば、江戸①の秀吉・家康期までは120曲以下で推移しているのに比べると、曲目数は20曲程増加したようです。そして江戸④家綱期には演能回数の半減と共に、曲数も105曲に急減して、室町後半期での曲数以下になっています。
現代は江戸②③期より100曲以上も増えて248曲となっています。ここには、現代で年間平均1回未満演能の58曲(中には60年間で3回の代主・放生川なども含みます)や観世流不採用等の41曲が含まれていますので、全てを他の時代と比較できる演目数として捉えてよいものか疑問があります。仮にこれらの曲を除外すれば、現代の演目数も200曲以下となり、室町から江戸初期に比べて50曲弱の増加数となります。
江戸期以後の新作能は第2部-10で示したように10曲以下ですから、江戸初期以後に増加した約100曲は江戸以前に作られた希曲・珍曲などをその後に取り込んだ結果であり、現代はそれを継承していることになります。
現代で演能回数が20倍以上にも増えているのに、曲数は1.6倍程度にとどまっていることも注目されます。増えた曲目は特殊な例外曲を除き全てが室町期の創作になっているのですから、今さらながらの驚きです。
次回は2024.4/15に、おそらく本邦初公開になると思われる「江戸初期の曲別演能回数」を第6部-5として掲載する予定です。
引き続き第6部をご覧になる場合は「謡曲の統計6」から進んでください。