その他 第6部-11 将軍宣下祝賀能の全体
2024-06-26
将軍宣下祝賀能全体の実施状況を一覧表で示すと次のとおりです。(曲の番数については、1日の最初の翁と最後の祝言切能も含めて数えています。狂言の番数は入れていません。)
全体で1603~1858年(256年間)・14回の祝賀行事となり、延べ60日・400番の演能となっています。
開催日数は、初代家康と2代秀忠の時は3日、3代家光では2日、4代家綱は4日、5代綱吉は4日と変動し、6代家宣(1709)以降は5日で固定され、全体で60日の行事となっています。日程は連続しておらず、雨天順延などで数日の間隔を空けて実施されていました。
演能番数は、初代家康と2代秀忠の時は全体で32番、3代家光と4代家綱は18番でしたが、5代綱吉(1681)以降は30番で固定されました。(狂言は数えていません。)
1日の番数は初代=12~10番、2・3代=12~8番、3代=6番、5代=8~6番と多かったのですが、6代以降=6番/日で固定されています。
演能会場は、初代家康と3代家光の時は二条城において行われましたが、2代秀忠では伏見城となり、4代家綱(1651)以降は江戸城となっています。また、資料を眺めると幕府の公式行事とは別に、有力大名宅等を持ち回りで祝賀能が延々と行われていたことが読み取れます。
次に、将軍宣下祝賀能の全体(14回・60日・400番)をシテの流儀別構成でグラフにすると、次のとおりです。
観世と金春で全体のほぼ半数を占めていることが分かります。この構成比は、当時の各流勢力を反映しており、秀吉の金春贔屓の影響や徳川と観世の結びつきの強さを窺わせるグラフとなっています。また、各流のバランスが配慮されているようにも思われます。
次に、将軍宣下祝賀能14回・60日の演能番数をシテ流儀別にグラフで示してみます。但し、1日の最初の「翁」と最後の「祝言老松」や「祝言養老」など半能形式の切能は儀式的な意味合いが強いので、集計から除きました。但し、半能形式でない切能の「猩々乱」4回と「熊坂」1回は集計に入れてあります。この結果、全400番から翁60番、祝言半能55番を除いた285番の内訳となっています。
また、初日・中日・最終日を区別してグラフにしました。また、大蔵は現行5流以外と合わせて「他」に入れました。
観世が特別扱いされた初日の翁などを除いても、全体として観世72番が首座を占め、金春68番がこれに次ぎ、宝生52・金剛46・喜多35番の順で並んでいます。(2024.6/28に金剛と喜多の数値を修正しました。)
初日に限れば、観世・金春・宝生が横並びの14番となり、喜多13番が続き、金剛9番が最少となっています。
中日では、初日とほぼ同じ傾向で、観世38番、金春32番で、次いで宝生と金剛が並んで26番、喜多19番となっています。
最終日では、金春22番が首位で観世20番と続き、宝生12、金剛11、喜多3番となっており、他の日に比べると喜多の少なさが目につきます。
全体のその他流儀12番の内訳は大蔵6番と、指田・松村・山田の各2番となっています。
次回は2024.7/15に第6部-12「将軍宣下祝賀能の曲目集計」を掲載します。
引き続き第6部をご覧になる場合は「謡曲の統計6」から進んでください。