将軍宣下祝賀能の60日では、一日の最初に「翁」が演じられ、これに続けて同じ大夫が次の脇能(高砂・老松など)のシテを演じています。これを「翁付き脇能」と言い、神の登場する目出度い初番目曲から選曲されています。
「翁付き脇能」は流儀の大夫だけに許されていました。現在は一日の演能が数番になることが稀で、かつ、「翁」が新年や能楽堂開場記念など特別な機会に限られています。また、現行観世流の初番目曲で特殊演出「脇能之式」小書のある曲は「呉服クレハ」だけになっています。そうであっても「翁」に続けて初番目物を演ずる場合は、伝統的に非常に重い扱いになっていることはあまり知られていないようです。
将軍宣下祝賀能の初日では、「翁」と「翁付き脇能」は初代家康の時から幕末まで観世大夫が務めています。但し、8代吉宗の時は例外で金春大夫が初日の「翁」と「弓八幡」を務めました。(このためか、一部のWebでは吉宗の将軍宣下祝賀能は開催されなかったとしているものがあります。また、14代家茂の時の脇能は「弓八幡」でした。)
以後、将軍宣下祝賀能は徳川幕府の最重要公式行事に位置付けられ、幕末の14代まで継続しました。(なお、一部のWeb資料では2代秀忠・5代綱吉・9代家重の時は行われなかったとしていますが、番組資料の存在から実施されたのは確実と思われます。)
将軍宣下祝賀能の「翁付きの脇能」の曲名とこれを演じたシテ方流儀を一覧表にすると次のようになります。






