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その他 第6部-13 翁付き脇能

2024-07-24

将軍宣下祝賀能の60日では、一日の最初に「翁」が演じられ、これに続けて同じ大夫が次の脇能(高砂・老松など)のシテを演じています。これを「翁付き脇能」と言い、神の登場する目出度い初番目曲から選曲されています。

「翁付き脇能」は流儀の大夫だけに許されていました。現在は一日の演能が数番になることが稀で、かつ、「翁」が新年や能楽堂開場記念など特別な機会に限られています。また、現行観世流の初番目曲で特殊演出「脇能之式」小書のある曲は「呉服クレハ」だけになっています。そうであっても「翁」に続けて初番目物を演ずる場合は、伝統的に非常に重い扱いになっていることはあまり知られていないようです。

将軍宣下祝賀能の初日では、「翁」と「翁付き脇能」は初代家康の時から幕末まで観世大夫が務めています。但し、8代吉宗の時は例外で金春大夫が初日の「翁」と「弓八幡」を務めました。(このためか、一部のWebでは吉宗の将軍宣下祝賀能は開催されなかったとしているものがあります。また、14代家茂の時の脇能は「弓八幡」でした。)

以後、将軍宣下祝賀能は徳川幕府の最重要公式行事に位置付けられ、幕末の14代まで継続しました。(なお、一部のWeb資料では2代秀忠・5代綱吉・9代家重の時は行われなかったとしていますが、番組資料の存在から実施されたのは確実と思われます。)

将軍宣下祝賀能の「翁付きの脇能」の曲名とこれを演じたシテ方流儀を一覧表にすると次のようになります。
シテ流儀の色凡例は第5部-28の演目&流儀1/3表と同じで、青=観世、茶=金春、緑=宝生、桃=喜多、黄=金剛としています。

翁付き脇能の曲名構成をグラフにすれば次のとおりで、13曲の全てが現行曲となっています。
高砂・賀茂・老松・弓八幡が10~8回で、次に難波6回・白髭4回となっています。この6曲で全体の3/4を占めています。ほかの竹生島・東方朔・氷室は3回で、嵐山・養老が2回、白楽天・放生川が1回となっています。

次に、全60日の翁付脇能のシテ方流儀構成をグラフで示します。
先に初日の14回の「翁」と「翁付き脇能」は観世が担当と記しましたが、2日目以後を入れた60日の「翁付き脇能」を数えると、グラフで示すように観世と金春は17・16回とほぼ同じです。江戸時代を通じて観世が首座を占め、金春がこれに次ぎ、この2流が半数以上を占めていることがよく分かります。また4流に遅れて一座と認められた喜多が金剛を凌いでいることも注目されます。250年を超える期間には流儀の盛衰もあったと思うのが普通ですが、グラフから微妙なバランスが図られているように見えます。

次回は2024.8/15に第6部-14「江戸中後期の演能状況」を掲載する予定です。

引き続き第6部をご覧になる場合は「謡曲の統計6」から進んでください。

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