本節からは、江戸中期から幕末までの演能状況を見ていくこととします。
第6部-10で紹介した「触流し御能組」により、江戸中後期にあたる141年間(1721~1862年)についての演能状況が把握できます。江戸城での演能記録がほとんどなので全国の状況までは分かりませんが、当時の演目が演能頻度とともに掴めます。詳細に見れば当時の演者・流儀も網羅されている貴重な資料となっています。
初めに「触流し御能組」の記録状況をみてみます。
江戸中期から幕末6年前までの141年間についてで、ほとんどが江戸城での演能記録となっています。全体で1199件の番組にP001~P758(151頁)・Q001~Q441(84頁)の整理番号を付けて、行事年月日、会場&行事名称、演目と演者名を小さな文字で印刷されています。
内容紹介のため、開催年月日、会場&行事名称及び一日の能と狂言の合計番数を抜き書きしてみます。全体の10%(PとQから100件飛びに10件ずつの計120件)を抽出しました。なお、最初の10件については能の曲名を付けましたが、狂言曲名と演者名は省略しました。
1.P001~P010:1721/1722年
1/3 江戸城謡初 4番 老松 東北 高砂 弓矢立会
3/12 江戸城公家衆饗応能 7番 翁 賀茂 忠度 鞍馬天狗 祝言岩船
4/22 江戸城西丸慰能 13番 賀茂 田村 千手 鞍馬天狗 春栄 雲雀山 舎利 女郎花 春日龍神
4/29 江戸城二之丸慰能 15番 氷室 大仏供養 杜若 車僧 花筐 輪蔵 小鍛冶 熊坂
6/13 江戸城二之丸慰能 15番 大社 頼政 野宮 雷電 鸚鵡小町 三輪 鍾馗 土蜘蛛
9/7 江戸城二之丸慰能 11番 玉井 田村 東北 女郎花 船弁慶 花筐
10/22 江戸城西丸慰能 13番 嵐山 采女 黒塚(安達原) 桜川 邯鄲 橋弁慶 乱(猩々乱)
1/3 江戸城謡初 4番 老松 東北 高砂 弓矢立会
2/15 江戸城二之丸慰能 13番 嵐山 田村 熊野 安宅 千手 道成寺 乱(猩々乱)
3/7 江戸城公卿衆饗応能 8番 翁 白髭 通盛 江口 安宅 祝言養老
2.P111~P120:1730/1731年
10/5 江戸城西丸慰能 12番、
1/3 江戸城謡初 4番、
1/28 江戸城徳川秀忠百回忌法事済祝賀能 8番、
3/7 江戸城公卿衆饗応能 8番、
4/5 江戸城日光門跡饗応能 7番、
4/6 江戸城西丸慰能 12番、
4/11 江戸城西丸慰能 11番、
6/6 江戸城本丸奥能 8番、
11/12 江戸城二之丸慰能 11番、
12/11 江戸城日光東照宮正遷宮済祝賀能 8番
3.P221~P230:1738年
2/3 江戸城西丸慰能 17番、
2/15 江戸城西丸将軍饗応能 7番、
2/19 江戸城西丸慰能 12番、
3/2 江戸城二之丸慰能 9番、
3/4 江戸城公卿衆饗応能 8番、
3/25 江戸城二之丸慰能 11番、
3/28 江戸城西丸仕舞/狂言 33番、
5/21 江戸城二之丸仕舞 52番、
5/22 江戸城西丸慰能 12番、
9/3 江戸城西丸慰能 13番、
4.P331~P340:1748/1749年
8/2 江戸城本丸奥慰能 13番、
9/19 江戸城西丸慰能 7番、
10/25 江戸城西丸慰能 9番、
閏10/13 江戸城西丸慰能 9番、
11/5 江戸城西丸慰能 9番、
11/25 江戸城西丸慰能 9番、
12/11 江戸城西丸慰能 9番、
1/3 江戸城謡初 4番、
1/12 江戸城西丸慰能 9番、
12/12 江戸城西丸慰能 9番
5.P441~P450:1762/1763年
3/5 江戸城公卿衆饗応能 8番、
4/5 江戸城日光門跡饗応能 7番、
11/1 江戸城若君御七夜祝賀能 3番、
11/13 江戸城若君誕生祝賀初日 9番、
11/18 江戸城若君誕生祝賀2日目 8番、
11/22 江戸城若君誕生祝賀3日目 8番、
1/3 江戸城謡初 4番、
2/6 江戸城若君誕生祝賀出家衆饗応能 8番、
3/7 江戸城公卿衆饗応能 8番、
9/27 若君宮参済観世山王法楽能 9番
6.P551~P560:1778年
1/5 江戸城本丸奥能 11番、
1/25 江戸城西丸慰能 11番、
2/9 江戸城西丸慰能 18番、
2/18 江戸城本丸奥能 10番、
3/11 江戸城公卿衆饗応能 8番、
4/11 江戸城大納言徳川家基前髪執祝賀能 8番、
4/13 江戸城西丸将軍饗応能 5番、
4/22 江戸城西丸シ狂言(詳細不明) 25番、
8/7 江戸城本丸奥能 11番、
9/7 江戸城西丸慰能 11番
7.P661~P670:1791/1793年
10/18 江戸城本丸奥能 9番、
12/9 江戸城日光門跡饗応能 7番、
1/3 江戸城謡初 4番、
2/2 江戸城公卿衆饗応能 8番、
7/19 江戸城本丸若君御七夜祝賀囃 3番、
8/18 江戸城本丸若君誕生祝賀能初日 9番、
8/23 江戸城本丸若君誕生祝賀能2日目 8番、
10/18 江戸城本丸奥能 12番、
1/3 江戸城日光謡初 4番、
2/6 江戸城本丸奥能 12番
8.P749~P758:1802/1803年
12/18 江戸城本丸奥能 10番、
1/3 江戸城謡初 4番、
1/6 江戸城本丸奥能 11番、
2/1 江戸城公卿衆饗応能 8番、
2/9 江戸城本丸奥能 12番、
2/18 江戸城西丸慰能 13番、
4/18 江戸城本丸奥能 13番、
5/18 江戸城本丸奥能 14番、
10/5 江戸城本丸奥能 10番、
12/21 江戸城本丸奥能 11番
9.Q001~Q010:1804年
1/3 江戸城謡初 4番、
2/9 江戸城本丸奥能 12番、
3/2 江戸城公卿衆饗応能 8番、
3/18 江戸城西丸慰能 11番、
4/3 江戸城本丸奥能 11番、
5/18 江戸城本丸奥能 14番、
9/3 江戸城本丸奥能 10番、
10/5 江戸城本丸奥能 11番、
11/5 江戸城本丸奥能 7番、
11/27 江戸城西丸慰能 10番
10.Q221~Q230:1830年
3/4 江戸城公卿衆饗応能 8番、
5/18 江戸城本丸奥能 12番、
5/21 江戸城徳川家綱百五十回忌法事済祝賀能 8番、
8/9 江戸城西丸囃/独吟/語/一管/一調/狂言 37番、
10/5 江戸城本丸奥能 10番、
1/3 江戸城謡初 4番、
3/4 江戸城公卿衆饗応能 8番、
5/18 江戸城本丸囃/語/一管/一調/狂言 35番、
10/5 江戸城本丸奥能 10番、12/18 江戸城西丸慰能 10番
11.Q331~Q340:1844/1845年
12/18 江戸城二之丸慰能 10番、
1/3 江戸城(西丸大広間)謡初 4番、
4/15 江戸城西丸徳川家祥誕生日祝賀能 8番、
5/15 江戸城本丸徳川家慶誕生日祝賀能 12番、
5/18 江戸城本丸移徒祝賀能初日 9番、
5/21 江戸城本丸移徒祝賀能2日目 8番、
5/23 江戸城本丸移徒祝賀能3日目 8番、
5/28 江戸城本丸移徒祝賀能4日目 8番、
9/28 江戸城公卿衆饗応能 8番、
12/22 江戸城本丸奥能 9番
12.Q432~Q441:1861/1862年
4/2 江戸城移徒祝賀能3日目 8番、
4/5 江戸城移徒祝賀能4日目 8番、
5/25 江戸城本丸奥能 11番、
11/25 江戸城公卿衆饗応能 8番、
12/23 江戸城本丸奥能 10番、
1/3 江戸城謡初 4番、
2/18 江戸城本丸徳川家茂婚礼祝賀能初日 9番、
2/21 江戸城本丸徳川家茂婚礼祝賀能2日目 8番、
2/23 江戸城本丸徳川家茂婚礼祝賀能3日目 8番、
3/26 江戸城日光門跡饗応能 7番
以上、資料全体の1割・120件の演能年月日と会場・行事名称・能+狂言番数を列記してみました。
ここから分かるのは、まず江戸城には能舞台が複数あったことです。調べると本丸御殿、西之丸御殿、二之丸御殿の3ヶ所のそれぞれに表舞台と奥舞台が設けられたようです。
本丸の表舞台は大広間正面に常設されており、公式行事などで利用されていました。将軍宣下や若君誕生などの慶事に際しては数日にわたって祝賀能が催されました。また、祝賀能の初日には町人の入城が許された「町入り能」の会場となっていました。(「町入り能」については第6部-12を参照して下さい。)
現在、西之丸御殿の跡地は皇居となり、本丸御殿跡は一般に公開されている「皇居東御苑」となって芝生が広がっています。
城郭内の能舞台として江戸時代の姿が見られるのは、「彦根城博物館能舞台」だけとなっています。
また一日の演能番数の多さにも驚きます。新年謡初ウタイゾメの4番・若君御七夜祝賀囃ハヤシの3番・仕舞/狂言などの25~52番を例外的行事として見ると、平均で9.3番も演じられています。少なくて西丸将軍饗応能の5番、多いときは西丸慰能の17番や18番となっています。狂言を含む番数とはいえ、能は一日で5番が標準と云われていた中で、それをはるかに超える番組の多いことに驚きます。朝8時から休憩を挟みながら夜9時まで行われていたとの資料もあります。
現在では1番だけの能会も多く、多くても3番程度で5番以上となるのは特殊な場合となっています。現代で退屈とも評される能を、昔の人は飽きることなくじっくりと鑑賞を続けていたのでしょうか。能を観る気持ちに大きな違いがあるのでしょうか。平均寿命も短かったのに、時間に対する感覚が違っていたのでしょうか。タイムイズマネーなどと忙しさを美化し、ゆとりを持てない現代の我々に問題があるのでは…、と考えたりします。
演能の名分にも興味が湧きます。例えば、公卿衆饗応(朝廷の勅使等を摂待)・家茂イエモチ婚礼祝賀・家慶イエヨシ誕生日祝賀・若君御七夜祝賀・秀忠ヒデタダ百回忌や家綱イエツナ百五十回忌の法事済祝賀・日光門跡饗応・本丸移徒イシ/ワタマシ(移転の意)祝賀などで行事が行われていました。何かにつけてお祝い事としてお能を催していたようです。
次に行事の頻度です。「触流し御能組」で記録された141年間・1199件の演能番組から、年間平均で8.5件となります。3ヶ月に2日は一日掛かりのお能が江戸城で演じられていたことになります。他のお城や有力大名の屋敷などでも行われており、全国ではどれ程になるのかは想像もできません。
次回は2024.8/31に第6部-15「触流し御能組のデータ」を掲載する予定です。
引き続き第6部をご覧になる場合は「謡曲の統計6」から進んでください。



