その他 第6部-23 江戸時代と現代の曲別演能状況比較
2024-11-22
ここで江戸時代と現代の曲別演能番(回)数を比較したグラフを示します。
江戸時代はこれまでの演能記録で見てきた220年間の228曲、現代は既に紹介済みの1950年~2009年・60年間の207曲(大角征矢氏の「謡曲の統計学・観世流有料公演」)を対象としています。
江戸時代に演能記録のある228曲(現代演能集計対象外の27曲を含む)に、江戸時代演能記録のない曲で現代演能実績のある7曲も含めていますので、全体で234曲の比較グラフとなっています。
上のグラフで特徴的なことは、江戸時代では「翁」が圧倒的に多く演じられていたことです。データでは220年間で776番も演じられています。次点「高砂」276回の約3倍も演じられています。現代の60年間では、「翁」は14位の953番の演能となっており、「翁」が江戸時代で異常と思えるほど特異な位置を占めていたことがよく分かります。
また、江戸時代220年間で演能番数が100番を超える曲は限定的となっています。データを見ると「翁」を入れて27曲だけになっています。
同様に現代の60年間では、演能回数が1000回を超えるのは9曲に限られ、500回以上は59曲となっています。
さらに、江戸と現代の上位各5曲の赤点は、お互いに混じり合っていません。現代で3位の「船弁慶」が江戸で6位と近接していますが、その他の曲は時代の変化を反映した結果となっています。詳しくは更なる比較グラフで見ることとします。
先ず、江戸時代の演能番数上位50曲(220年間で76番以上)について現代演能回数との比較グラフを示します。先に見たように「翁」は特別なのでグラフから外し、江戸時代の「翁」を除くトップ20の曲名も表示しました。(曲名のゴシックは現代の観世流で習い物となっている曲です。以下同様とします)。

江戸時代の「翁」を除くトップ20曲(220年間で112番以上演能)の曲名を並べると次のとおりです。参考までに曲名のあとに続けて現代での演能番数順位を付しました。(ゴシックは現代で習い物の曲。同じ番数は同じ順位としています。以下同様)
1位「高砂」23 2位「猩々」9
3位「田村」29 4位「道成寺」26
5位「船弁慶」3 6位「屋島」35
7位「賀茂」61 8位「熊野」13
9位「三輪」30 10位「融」11
11位「松風」17 12位「海士」34
13位「自然居士」73 14位「箙」111
15位「東北」62 16位「葵上」2
17位「江口」82 18位「実盛」94
19位「羽衣」1 20位「紅葉狩」40
江戸のトップ20曲は、概ね現代の60年間でもよく演じられており、大部分の曲が現代で70位以内に入っています。外れるのは100位以内の「自然居士」「江口」「実盛」の3曲と「箙」の111位(60年間で203番の演能)となっています。
この「箙エビラ」は、源平合戦で梅の枝を箙(腰につけて矢を入れる物)に挿して戦った、源氏方の梶原カジワラノ源太ゲンタ景季カゲスエを称える勝カチ修羅シュラの曲となっており、江戸時代にあっては一種の祝言能として扱われたようです。
現代でやや振るわないのは、景季の知名度が低く構成もやや単純であることが影響しているようです。
勝修羅曲には、「箙」のほかに「田村」(江戸で3位の204番演能・現代で29位の762番演能)と「屋島」(江戸で6位の179番・現代で35位の730番)の曲があります。この二曲は、坂上サカノウエノ田村丸タムラマルの清水寺創建や、平家滅亡の立役者である源ミナモトノ義経ヨシツネを描き、縁起の良さもあってどちらの時代でも頻繁に演じられた曲となっています。
なお、源平の武将達を主人公とする2番目物曲は、上の勝修羅を除くと殆どが負マケ修羅の曲となっています。曲名を挙げると「敦盛」「生田敦盛」「兼平」「実盛」「俊成忠度」「忠度」「経政」「知章」「巴」「朝長」「通盛」「頼政」の12曲となります。このうち「実盛」「朝長」「頼政」は三修羅と呼んで重く扱われています。(ゴシックは習い物の曲)
負修羅の曲が勝修羅曲の4倍も多くあるのは、判官贔屓ホウガンビイキで知られる日本人の感情(悲劇で語られる義経に集まる同情)によるものかも知れません。さらには、能は詩劇でもあることから「悲劇」や「はかなさ」が鑑賞に堪える作品郡となっているとも云えます。
負修羅12曲を、江戸と現代の演能状況で比べると、次のようにグループ分けできます。(江戸の演能回数は番数で表示)
A :両時代でよく演能された4曲
「経正」江戸で45位の79番演能・現代で42位の649回演能
「忠度」江戸23位105番・現代64位466回
「頼政」江戸29位97番・現代46位472回
「敦盛」江戸66位58番・現代59位500回
B :両時代である程度演能の3曲
「通盛」江戸87位40番・現代101位247回
「俊成忠度」江戸89位38番・現代112位187回
「朝長」江戸91位38番・現代123位138回
C :両時代でやや少ない演能の2曲
「知章」江戸94位36番・現代171位52回
「生田敦盛」江戸132位20番・現代163位64回
D : 江戸時代で多いのに比べて現代で少ない2曲
「実盛」江戸18位114番・現代94位94回
「兼平」江戸21位109番・現代142位98回
E :現代でよく演能されて江戸でやや少ない1曲
「巴」江戸107位28番・現代32位741回
ABCグループの9曲は、江戸と現代の両時代で演能頻度の状況が似ている傾向があり、DEの3曲は一方の時代と他方の時代で異なる状況になっています。つまり、全体の3/4の曲は時代が違っても同じ演能状況であり、1/4は異なる人気度になっていることになります。
また、三修羅の曲について上の状況を見ると、「実盛」は江戸時代にウケて現代であまり振るわず、「頼政」は両時代でよく演じられ、「朝長」は両時代で多くはないがある程度演じられていることが分かります。この辺がどういう事情に因るものか興味のある所です。
次に、現代の演能回数上位50曲(60年間で560回以上)について、江戸時代との比較を示します。

現代の演能トップ20曲(60年間で827回以上演能)を並べると次のとおりです。江戸時代での演能番数順位(翁を除く)を曲名のあとに記しました。
1位「羽衣」19 2位「葵上」16
3位「舟弁慶」5 4位「清経」37
5位「安達原」37 6位「杜若」53
7位「小鍛冶」63 8位「天鼓」52
9位「猩々」2 10位「井筒」56
11位「融」10 12位「半蔀」85
13位「熊野」8 14位「翁」—
15位「隅田川」160 16位「班女」97
17位「松風」11 18位「弱法師」152
19位「巻絹」14 20位「石橋」49
現代のトップ20曲も、概ね江戸時代でよく演じられていましたが、江戸時代で70位以内に入らない曲に「隅田川」「弱法師」「班女」「半蔀」の4曲があり、52~63位にとどまっている曲が「天鼓」「杜若」「井筒」「小鍛冶」と4曲あります。
どういう訳で現代の人気曲が江戸時代で必ずしも頻繁に演じられなかったのかに興味を覚えるところです。
次回は、2024.12/31に第6部-24 「江戸時代と現代の曲別演能状況のグループ化」を掲載する予定です。
引き続き第6部をご覧になる場合は「謡曲の統計6」から進んでください。