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その他 第7部-2 江戸時代合計・秀吉&1家康期・2秀忠期

2025-02-07

次に江戸時代の演能記録全体の220年間についてのランク別曲数を示します。但し、「翁」はズバ抜けて多いのでグラフから除いてあります。以下同様とします。
江戸時代全体のグラフも前節の現代と同じ形を示しています。頻繁に演じられる曲は少数に限られ、半分以上の曲が第28ランク以下に集まっています。データでは第28~30ランクは江戸220年間で30回未満演能の曲・123曲(全227曲の54%)が集まっているのです。グラフで曲名を記した26曲は江戸時代の超エリート曲と言えるでしょう。(曲数には「翁」を含めていません。)

江戸時代全体では「翁」の776回を別格として、初番目曲の「高砂」が276回と多く演じられ、5番目曲の「猩々」254回がこれに次いでいます。以下は「田村」204回、「道成寺」184、「船弁慶」183、「屋島」179、「賀茂」178、「熊野」154、「三輪」146、「融」145回と演能回数が急減してランクを落としています。第19ランクの26位が「張良」103回で、第20ランク以下の曲は100回未満となっています。

それでは、各将軍期別にランクごとの演能曲数のグラフを示すこととします。先ずは秀吉・家康期のグラフです。
織豊後期から江戸初頭の演能記録が対象になっているグラフですが、曲名を記した上位22曲は現代でも良く演じられる曲となっています。但し、第2ランクの「呉服クレハ」だけは、現代で余り演じられていません。「呉服」は「翁」の次に演じられる脇能として幕末を除けば江戸時代を通じて良く演じられていましたが、現代の60年間では18回の演能で、調査対象207曲中の194位となっています。同じ理由で第19ランクの「老松」は江戸時代(特に中期)でかなり頻繁に演じられましたが、現代では60年間で148回・118位と必ずしも多いとは言えない演能曲になっています。なお、「老松」は正月3日の幕府謡初ウタイゾメで江戸時代を通じて最初の曲として必ず謡われていました。(翁付き脇能については第6部-3を、室町時代の謡初については、第6部-3ご参照ください。)

参考までにこの期間の時代背景を記すと次のようになります。

演能記録データ期間は1590~1605の16年間で、始期は織田信長による室町幕府15代将軍・足利義昭追放(1573)から17年後、信長の本能寺での自害(1582)から8年後となっています。また、1586年に豊臣秀吉が関白・太政大臣に任じられた4年後で、小田原の北条氏を降伏(1590)させて国内統一を達成した年になります。終期は徳川家康が征夷大将軍に任じられて江戸幕府を開いた(1603)の2年後となっています。この間に1598年の秀吉死去、1600年の関ケ原の戦いなどがあり、秀吉と家康の影響下の期間がほぼ半々となっています。

また、秀吉(1537~1598)は無類の能好きで自らをシテ(主人公)とするいわゆる太閤能の「高野参詣・吉野詣・明智討・北条・柴田・この花」(現行曲としては採用されていません)などを作らせて舞ったりしています。そして、1593文禄2年には大和四座(観世・金春・宝生・金剛)保護策を取っています。この政策により能役者の生活が安定した半面、四座以外の近江(山階・日吉座など)・丹波(梅若・日吉・矢田座など)・摂津(榎並・鳥飼・法成寺座など)の猿楽や、京都の素人猿楽及び西国の女猿楽などは四座に吸収されたり消滅する道を辿りました。これにより僅かとはいえ新たな曲目が四座に加わった半面、多くの曲が失われた損失も大きかったとされています。(2012刊の能楽大辞典や第5部-5で紹介の①表章論文参照等による。)

家康(1543~1616没・在職1603~1605)と観世の結びつきは観世七世宗節(1583天正11没75才)と八世元尚(1577天正5没42才)が戦国乱世に三河へ下って徳川を頼ったことに始まり、家康が江戸幕府を開いて能楽を武家の式楽に定めて、九世身愛タダチカ(1626寛永3没61才)を能役者の筆頭に命じたことで決定的になりました。

次に徳川第2代将軍の秀忠期のグラフを掲げます。
秀忠期には年間平均演能番数が前期からほぼ倍増の77番となりました。グラフの形は前期と似ていますが、秀吉/家康期では第2~9ランクなどに該当曲が無かったのに、この4/14グラフでは第3・6ランクを除くと切れ目なく演能曲が存在しています。それだけ秀吉/家康期は「高砂」を(「翁」を別格として)慶事祝事の曲として重視し、限られた曲目を度々演能していたことがわかります。そして、秀忠期では曲目が前期の119から141曲へ増加し、先代よりも選曲の幅を少しですが広げていることが分かります。

また「翁」を除く上位各22曲の曲名では、約2/3の14曲が前期と重複し、期間独自の曲は8曲ずつになっています。金春贔屓ビイキの秀吉の影響がある期間と、観世筆頭となった秀忠期が、これほど頻繁演能の曲目が重複しているのは注目されます。

両期で重複の曲は「高砂・自然居士・猩々・熊野・松風・道成寺・舟弁慶・三輪・江口・葵上・山姥・百万・実盛・善界」の14曲となっています。この14曲は全て現代の演能100位以内(60年間で254回以上)に入っており、ゴシックの10曲は31位以内(同753回以上)に位置しています。特に「葵上・船弁慶・猩々」の3曲は現代9位以内(同1065回以上)の超人気曲となっています。

期間別の独自曲は、秀吉/家康期で「呉服・源氏供養・田村・融・紅葉狩・屋島・老松・養老」、秀忠期で「賀茂・清経・千手・天鼓・善知鳥・鵺・三井寺・竹生島」の各8曲となっています。じつに14曲が現代100位以内に入っており(ゴシックが現代100位以内)、なかでも「清経・天鼓・融」は11位以内の超人気曲となっています。(「老松」は118位、「呉服)は194位)

400年前(1590~1623)の上位演目が現在に直接つながっているかの如き様相に改めて驚かされます。能楽が「心」に響くもので、人間の深層心理と関連があるとすれば、人間の心理は時代に左右されないことを示しているようです。

秀忠期の演能データは将軍在職期間の1605~1623年・19年間です。秀忠(1579~1632)は家康の三男ですが長兄の切腹、次兄は秀吉への人質などのため、後継者となりました。家康が1616年に没するまで大御所として実権を揮ったので、約半分の期間は実質的には家康の影響下にあり、豊臣を亡ぼした大阪冬・夏の陣(1614~1615)も家康主導でした。父にならって秀忠も1623年(45才)に将軍職を家光に譲り、以後1632年に没するまで大御所として実権を握りました。秀忠は地味で真面目と評され、武家諸法度や禁中並公家諸法度を制定して大名と公家を統制し、尾張・紀伊・水戸の御三家を作り、娘を天皇に入内させて縁戚関係を築くなど江戸幕府の基礎を固めました。

秀忠期で特筆すべきは幕府式楽として大和猿楽四座(観世・金春・宝生・金剛)に加えて北(喜多)が新たな一流として認められたことです。流祖の北七大夫長能(古七大夫)は少年の頃から興福寺薪猿楽で金剛座のシテを度々勤め、秀忠の後援によって1620元和6に勧進能を催すなどして金剛家から独立を果たしたようです。配当米は江戸期を通じて金剛宗家から給付を受けていたので分家扱いの形ですが、本家を凌ぐ流勢を誇っていました。

ここで当時の謡本の状況を紹介しておきます。(第1部-9、10に謡本に関する年表を載せています。)

16世紀後半の室町末期から京都を中心に「謡い」を楽しむことが広まり、謡本の写本が盛んになりました。江戸幕府が開かれた1603慶長8年以前の写本が観世文庫や法政大学能楽研究所に860冊(番・曲)以上も伝存しています。これら写本は観世流がほとんどで金春流が僅かに交じり、宝生・金剛流のものは全く伝存していません。

早い頃の写本は、謡本の奥書に初めて観世大夫と署名した観世六世元広(1522大永2没40才前か)や観世長俊(音阿弥の子=信光の子・1541天文10没53才)の手になるもので、「謡い」の大流行に伴って観世七世宗節(1583天正11没75才)や元頼(長俊の子・1574天正2没56才)の頃から宗節系・元頼系謡本として急増します。長俊と元頼は観世座付のワキ方を努めていました。当時の能では地ジをワキが一緒に謡い、「ワキのシテ」と称される役割を負っていました。また、元頼は信長から醍醐近辺に領地を受けるなど厚遇されていました。

一曲の全体に謡本特有のゴマ譜号を付した謡本の最初は、金春禅鳳(禅竹の孫・1532天文1没79才)筆の古巻本になります。

版行謡本の最初は1596慶長1年頃から刊行の始まった金春流の車屋本(約100曲・詳細は第5部-13参照)で、観世流では1609慶長14年からの光悦謡本(約100曲・詳細は第1部-9の1609年等の項参照)になります。光悦本は秘蔵されたりして広まりに欠けたようです。

当時の観世大夫は九世身愛(1626寛永3没61才)で、1606慶長11の伊達政宗・上杉景勝饗応の常陸介(後の紀伊頼宣)主役の「翁」をスッポカシ、駿府を逐電して家康に勘当され、高野山に隠居し黒雪斎・暮閑と名乗り、6年後に帰参を許されています(逐電出奔の原因については、家康の梅若寵愛への反発や、京での訴訟によるなどの説もあります)。帰参直後の1620元和6から暮閑公認の豪華な「元和卯月本(100曲)」が高弟の石田少左衛門友雪によって刊行され、後の「寛永卯月本(100曲・1629寛永6刊行)」の底本となるなど現在に伝わる観世流謡本の基となっています。

次回は、2025.2/28に江戸時代前半期までの演能状況について、第7部-3「3家光期・4家綱期・8吉宗期&幕府への書上げ」として掲載する予定です。

引き続き第7部をご覧になる場合は「謡曲の統計7」から進んでください。

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