その他 第8部-1 江戸時代の勧進能(主な勧進能など)
2025-05-06
勧進能については第5部-8~10で、その始まりなどを含め室町時代の勧進能を詳しく紹介しました。本節では江戸時代について眺めることとします。
ただ、その前に織豊末期の勧進能について1件だけ紹介しておきます。秀吉薨去翌年の1599慶長4年に京都・聚楽で行われたものです。(参:聚楽第は1595文禄4に破却されているので、仮設舞台を設けたと思われます。)参照資料は1925大正14初版・池内信嘉著「能楽盛衰記」(1992平成4復刻増補・東京創元社・解題等西野春雄)上巻=江戸の能258頁からです。10月1日からの4日間興行でした。能大夫は観世9世・左近身愛タダチカ(黒雪斎暮閑・詳細は第7部-2を参照)34才です。身愛の子・初千世丸は10才で8番のシテを勤めています。ワキは福王神右衛門79才が12番を勤めています。古記録を残したのは、太鼓方観世甚六24才で、4番に出演しています。
以下はその曲目です。ゴシックは身愛、細字は初千世丸がシテとなっています。赤字は習い物の曲です。
初日:高砂 経正 定家 善界 自然居士 岡崎 呉服
2日:江島 熊野 夕顔 紅葉狩 遊行柳 百万 猩々
3日:小塩 屋島 三輪 輪蔵 東北 山姥 老松
4日:玉井 盛久 芭蕉 卒塔婆小町 羽衣 天鼓 養老
全28曲のうち20曲を身愛が舞っており、その中に習い物が5曲も含まれています。最終日には大曲揃いにもかかわらず6番も大夫自身が勤め、能大夫の偉大さに驚かされます。(但し、甚六の手記によれば、4日目の「天鼓」のあと雨が降って「養老」は中止になったようです。)
また、この番組で注目されるのはアンダーラインの7曲で、ワキを山階彌右衛門ヤエモンが勤めていることです。また、現代第一位演能の「羽衣」は第7部-3の7/14グラフで、将軍期別の上位曲に初登場したと記しましたが、江戸直前の勧進能でも演じられていたことも注目したいところです。
次に少し横道にそれますが、観世流山階家について説明しておきます。(現在の山階彌右衛門師はブログ子の師匠なので…。) 能楽大辞典(2012筑摩書房刊・小林責等著)を読み込んで作成した山階家の略系図を示します。

図中別記:11信弘は観世流大西家6世新三郎の三男で、兄が新三郎長男=大西家7世信久1903~1983、弟が新三郎四男=信彦1913~1985。甥に信久長男の8世大西智久1938~がいます。また智久の長男に礼久1968頃~ がいます。(参:このゴシック5人は重要無形文化財総合指定を受けています。「国指定文化財等データベース」より)
近江猿楽は、鎌倉時代には近江国(滋賀県)を本拠地に活動していました。山階・下坂・日吉ヒエ(比叡とも)の上三座は日吉神社の祭礼に勤仕し、下三座に敏満寺ミマジ・大森・酒人サカウド座がありました。室町初期には京都へ進出しており、日吉座の犬王(道阿弥)は優美な芸風で世阿弥に大きな影響を与えました。秀吉による大和猿楽四座への統合で、ほとんどが江戸時代初期に観世座のツレ方や地謡方などに吸収されたと言われています。なお、観世流梅若家の祖とされる丹波猿楽(京都府北部)の日吉ヒヨシ座と近江の日吉座との関係は不詳となっています。
山階家の江戸時代での活躍は、江戸初期の1607慶長12の江戸城での観世・金春勧進能に山階彌右衛門の名があり、幕末では9世山階滝五郎が1831天保2観世勧進能に出演した番組古記録からも確認できます。
それでは江戸時代の勧進能について話を進めます。
はじめに、江戸時代における主な勧進能の一覧を示します。項目は、開催年月・主演者流儀等・興行場所・演能日数としましたが、一部の興行で不明の部分は表示していません。また、資料間で重複する行事も多いのですが、一つだけの資料によるものも少なくありません。その意味では信頼性に欠ける部分があると思いますが、どの資料も信頼に足るものであり、少なくとも大きな勧進能は網羅されていると思います。参照した資料は次の8種です。
①観世文庫所蔵能楽史料解題目録(2012檜書店刊・監修観世清和・編集松岡心平他)
②能楽盛衰記(1925大正14初版・1992平成4東京創元社・復刻増補版・解題等西野春雄)
③観世文庫(観世アーカイブ。以下⑧までWeb)
④野上記念法政大学能楽研究所(能楽貴重資料デジタルコレクション・史料)
⑤法政大学学術機関リポジトリ(「寛永年間の勧進能」「幕末の観世勧進能」古川久)
⑥早稲田大学古典総合データベース
⑦国立国会図書館デジタルコレクション
⑧神戸女子大学・古典芸能研究センター蔵・能番組データベース(「翁」や「高砂」で年代幅を入力すると候補が検索できます。noh-bangumi.yg.kobe-wu.ac.jp URLは2025.5/12に追記しました。)
資料の重複等を整理すると、江戸時代の主たる勧進能は58回(件)となります。区切りなしの一覧では芸がありませんので、江戸時代の1603~1868年の265年間を区分して示します。初期・中期・後期としてほぼ3等分し、1689年までを初期、1780年以後を後期としました。また、1830年以後を末期としてA~Dの4表に分けて掲載します。
A.江戸初期の勧進能24件:ゴシックは別途曲名等を表示。赤字は一世一代能。
1607慶長12.2 観世金春 江戸城 4日間
1615元和元 観世身愛
1616元和2 観世身愛 江戸幸橋
1620元和6 北七大夫 江戸御成橋 5日
1621元和7 観世重成 江戸幸橋外 4日
1626寛永3.9 観世金春北 二条城 1日
1628寛永5.3 金春七郎 江戸浅草 4日
1629寛永6.7 北七大夫 江戸浅草 5日
1630寛永7.5 金剛吉勝 江戸浅草 4日
1631寛永8.6 宝生重房 江戸浅草 4日
1633寛永10 北七大夫 江戸深川 5日
1635寛永12.1江戸城 家光・伊達政宗
1645正保2宝生(竹田)京都二条河原4日
1646正保3観世重成 京都北野七本松4日
1656明暦2年観世重清 江戸筋違橋 4日
1659万治2宝生重友 京都聚楽西河原4日
1663寛文3宝生重友 江戸鉄砲洲 4日
1665寛文5 金春元信 江戸本所 4日
1667寛文7 金剛頼祐 江戸本所 5日
1672寛文12.9観世重清 京都聚楽 4日
1674延宝2 鷺仁右衛門狂言 大阪
1676延宝4宝生重友 江戸鉄砲洲 4日間
1687貞享4宝生重友 江戸本所二ツ目橋4日
1688貞享5.9 丹波猿楽 尾張熱田 7日
B.江戸中期の勧進能13件:ゴシックは別途曲名等を表示。赤字は一世一代能。
1702元禄15.9観世滋章 京都七本松4日
1705宝永2 金春 江戸三田明神 2日
1706宝永3.7 鷺仁右衛門狂言 大阪
1732享保17.2 関白公東門跡得度
1749寛延2 観世元章 江戸筋違橋
1750寛延3.3 観世元章 江戸筋違橋 15日
1765明和2.10 大阪西御門跡(橋弁慶)
1766明和3.2 大阪砂場?(江口)
1766明和3.12野村三次宅:初熊野・後芦刈
1767明和4.10 京都砂場浄光寺
1767明和4.5井門?舞台:初三井寺・後松風
1773安永2.3観世(梅若)大阪難波新地6日
1774安永3.10常舞台 庄内 初三輪・後定家
C.江戸後期の勧進能11件:ゴシックは別途曲名等を表示。赤字は一世一代能。
1782天明2.4 大阪難波新地 6日
1796寛政8.5 ?又太門?宅(乱)
1798寛政10.11 住吉?能(砧)
1800寛政12.4 常舞台(忠度)
1800寛政12.10 西御門?(天鼓)
1801享和元.9明石五穀社奉納能 翁・高砂
1802享和2.4 難波新地(小鍛冶)
1805文化2 観世清興 江戸幸橋
1806文化3 観世清興 江戸幸橋
1810文化7.7 鷺仁右衛門狂言 大阪
1816文化13.閏8 観世清暘 江戸幸橋 15日
D.江戸末期の勧進能10件:ゴシックは別途曲名等を表示。赤字は一世一代能。
1830文政13.4 金剛 曽根崎常舞台6日
1831天保2.10観世清長 江戸幸橋 25日
1835天保6.3 福王甚五郎 大阪
1836天保7.10観世宝生金剛 名古屋大野 6日
1839天保10 金剛(野村) 6日
1843天保14 鷺仁右衛門狂言 大阪
1847弘化4.4 金剛(野村)楢村常舞台6日
1848弘化5.2宝生友干 江戸筋違橋 15日
1851嘉永4.4 野村・片山 大阪天満6日
1855安政2.4 金春 大阪天満 6日
以上58件でこの一覧は終了。
以上の勧進能の開催頻度を見ると、1607~1855年の249年間で58回ですから、平均すれば4.3年に1回の勧進能が催されていたことになります。詳しく見ると1年に2回開催が2回あり、2年以内間隔での開催が30回で、10~26年も間隔が空いたケースが9回もあります。勧進能が毎年か隔年で行われた時期と、暫く年月の空く時期があったようです。
また、開催日数を見ると、日数の判明している勧進能は36回あり、総計で209日間となります。1回の平均は5.8日です。内訳は、1日間が1回・2日が4回・4日が15回・5日が3回・6日が8回・7日が1回・15日が3回・25日間が1回となっています。4日間が一番多く、6日間がその約半数で、ほかは4回以下です。3日間という例はありませんでした。江戸初期では4日間を標準としていましたが、1629寛永6年に伊達政宗の働きかけで北七大夫だけ5日間が特別に許されたとされています。江戸中期の1750寛延3年の観世元章一世一代能の15日間は前代未聞の長さで、先代と先々代の分を合わせて特別に許されたとする説もあります。そして江戸後期の観世と、末期の宝生の一世一代能も15日間となっています。また、6日間の勧進能が多くなったのは江戸後期からに見られます。なお、晴天○日興行などとされていますが、初日から最終日までに月を跨ぐ例が多くあります。
日数の一番長いのは、江戸末期の1831天保2年観世清長の一世一代能で25日間も江戸幸橋で行われました。当初は5日間の予定だったのですが、初日の観客が畳場で900人ほど、大衆席で約3000人も入ったことから、25日間興行に延長されたと伝わります(法政大学学術機関リポジトリ古川久「幕末の観世勧進能」中の樋口秀雄「天保2年の勧進能」からの引用、を参照)。また、会場が狭いことを理由に延長されたとも言われています(観世文庫資料解題)。開催月日は10月16日から翌年の6月26日となっています。1回(件)の勧進能が年を跨いで9ヶ月も行われたのですから、現在では想像もつきません。
10年以上も間の空いた時の将軍を挙げると、3代家光(10年間)、5代綱吉(14年)、8代吉宗(16年と14年が1回づつ)、10代家治(12年)、11代家斉(14年)の5代となります(空いた期間が2代の将軍に亘る場合を除きました)。但し、勧進能の開催頻度が少ないことと、江戸城等での演能回数とは関係のないことが、第7部-1グラフで確認できます。例えば、家光期と吉宗期は年間平均演能番数が74・73番と秀忠期に次ぐ2・3位を占めています。家治期と家斉期も41・37番と吉宗期からは減少しますが、4・5位の位置にあります。なお、綱吉期は江戸城等での演能データがないので比較ができません。
以上の文章では開催頻度のイメージが湧きませんので、グラフで見ることとします。勧進能の頻度は将軍期別には余り関係のない事が分かりましたので、10年刻みで回数と日数を対照できるグラフを示します。日数については、不詳の勧進能が22回あり、1日限りが多いと思われことから、一律に2日と仮定しました。総平均では58回で253日となるので4.4日間/回となります。

上のグラフからは江戸初期と末期に勧進能のピークがあり、中期には少なかったことが分かります。末期には1831天保2観世25日の例外的行事があり、現代において過去記録の把握率が高いことも考えられるので、初期の多さに注目したいところです。
流儀別での構成をグラフで示すと次のとおりです。(1607・1626・1836・1839・1851年の勧進能は2~3流合同ですが、それぞれ1回ずつと数えました。)

グラフからは、3割近い流儀不明があり、観世が式楽の筆頭として次点の宝生に倍する件数となっていることが確認できます。日数や番数は興行件数に比例するものではありませんが、同じ傾向になると想像されます。
時期別の開催状況を調べると、観世は江戸時代を通じて開催されていますが、宝生は1848弘化5年の大勧進能を除くと江戸前期の行事となっています。金春も同じで1855安政2年を除くと江戸前期だけになっています。金剛は江戸初期と末期での開催になっています。喜多は江戸初期だけになっています。
開催月の分布を見ると、58回のうち39回分の月が判明し、一番多いのは4月の8回で、以下10月6回・3月5回・2月と9月が4回・5月と7月が3回・12月が2回で、1,6,8,11月は1回だけとなっていました。多くが春や秋の気候のいい時期に開催されていることが分かります。
一覧の赤字で示した一世一代能は、観世6回・宝生2回となっています。これは観世大夫に生涯で一度だけ許された勧進能で、例外として宝生にも許されたとされています。特に有名なのは、江戸中期1750寛延3年観世元章と、末期1848弘化5年宝生友干トモユキの一代能です。いずれも江戸筋違橋で15日間の大興行でした。他に15日間興行となったのは、後期1816文化13年観世清暘キヨアキラの一代能が江戸幸橋で行われています。この興行では暴風で初日が遅れたり、火災で会場を作り直すなどして正味1年がかりとなっています(詳しくは番組紹介の項で説明します)。また、先に触れた25日間の観世一代能もありました。
一代能においては、幕府が場所の貸与、桟敷サジキの諸大名などへの割当て、畳場・入込場(大衆席)切符の町内割当て、警備の役人の派遣などを担当して勧進能を支えていました。能楽は幕府の保護で継続してきたことの証左と言えるでしょう。町内割当て額は4日間の1656年も15日間の1750年も同じ3000両(現在なら数億円)でした。後者の場合は7日間で割当てを消化し、8日目以降は割引して当日売りにしたので14日目には1万人、15日目も7~8000人もの入場者があったと言われています。しかし1816年の勧進能では火災などで巨額の赤字が出ているので、江戸中期頃からの勧進能は利潤追求より名声を高めることが第一の目的になっていたようです。
2025.5/21に第8部-2「江戸時代の勧進能(京阪での勧進能)」を掲載します。
引き続き第8部をご覧になる場合は「謡曲の統計8」から進んでください。