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その他 第8部-2 江戸時代の勧進能(京阪での勧進能)

2025-05-21

前節では江戸時代で比較的に大きな勧進能の一覧を掲げ、会場が江戸主体になりました。本節では京都・大阪での勧進能を示すこととします。(室町時代の勧進能については第5部-8~をご参照ください。)

一覧を示す前に、能楽大辞典(2012筑摩書房刊・小林責等著)などから、江戸時代の勧進能の概要を記しておきます。

江戸時代に入ると「勧進猿楽」の語は廃れて「勧進能」が一般化し、寺社や橋の改修など本来の主旨は失われ、稀に寄進能や奉加能もありますが、殆どが主催者の利益や名声誇示を目的とする比較的に大きな有料興行を勧進能と呼ぶようになりました。興行地は江戸・京都・大阪に集中し、地方都市での事例は少なかったようです。

江戸では、幕府の認可を受けた公的な勧進能と、そうではない私的な勧進能がありましたが、元禄期(1688~1704)以前についてはその分別が明確になっていません。明らかに私的な勧進能を除いて1607慶長12年から1687貞享4年の80年間で13回も開催されています。(前節の一覧では同期間に江戸以外を含めて23回分を載せています。)享保期(1716~1736)からは私的な勧進能は認められなかったと言われています。

京都では、1603慶長8年から1702元禄15年の100年間で70回余の勧進能が行われており、その前半期には梅若・日吉の両大夫や女大夫の興行も多くありましたが、100年間を通じて名の見えるのは町衆手猿楽(素人)の大夫たちでした。これらの多くは5日または7日間の演能でした。同じ100年間で五座(観世・金春・宝生・金剛・喜多)の大夫および金沢藩お抱えの京都詰め金春分家(武田権兵衛)による勧進能も約10回開催され、各4日間の興行となっていました。興行地は、初めは四条河原などでしたが、のちには東山一帯などの各所に及びました。1702元禄15年の北野七本松の観世滋章(重記)勧進能では「公方クボウ様御桟敷サジキ」ほかの正面特別席を別として桟敷席84間(約150m?)に土間畳席(大衆席)800席が用意されていました。入場者は土間畳席に4日間で26665人に上りました。(能1番ごとに入れ替えしていた?)また、桟敷の上席などは4日間のセット売りだったようで、10両もする高価でしたが、新興町人たちによって買い占められ、彼らのステータスを誇示する好機となりました。しかし元禄(1688~1704)以後は、経済の中心が大阪や江戸へ移ったため、五座系の勧進能は一度も行われず、京都での勧進能自体が衰微しました。

大阪では、1674延宝2年から1862文久2年の189年間で75回の勧進能が行われました。そのほとんどは五座系や大夫と地謡方以外の、ツレ方・ワキ方・囃子ハヤシ方・狂言方・触流フレナガシが困窮を理由に出願して認可された興行でした。ワキ方や囃子方が催すときはシテ役を京阪の役者に依頼するのが常でした。興行を希望する者はまず江戸で幕府の許可を受けます。それを大阪町奉行へ伝えると、町奉行が町内へ割当てました。興行日数は5~7日間でした。開催間隔は、早い頃はあまり煩雑に催されたので、1789寛政元年に5年ごとの興行とし畳桟敷の町割を638両(現在の数千万円相当)にせよと大阪町奉行から達しがありました。その後、1827文政10年に役者が困窮を申し立てたため町内割当を減額するかわりに隔年開催を認めました。しかし、1843天保14年からは元の5年ごとになっています。(実際の間隔は以下に示す通り、ほぼ隔年開催となっています。)興行地は下寺町大蓮寺前などでしたが、1765明和2年に難波新地に常舞台が設けられてからは同地が多くなりました。

では、大阪での勧進能一覧(①~④)を掲げます。参照資料は、A能楽盛衰記(池内信嘉著1925大正14初版・1992平成4東京創元社復刻増補版・解題等西野春雄)265頁の「大阪町奉行の通達による勧進能・狂言」、およびB観世文庫(観世アーカイブ整理番号54/65宗:Web)の「大阪勧進能順」の二つです。Aには59件、Bには36件の勧進能を載せていますが、22件は重複しているので73件の一覧となります。なお、Bの資料は達筆で記されているため一部読取が不正確になっているかも知れません。そしてBは、解題で70件とあるのですが初期(1680延宝8~1772安永元年の93年分・34件)の画像が確認できませんでした。また、興行月は実際の番組より早くなっているものが少なくないと記し、江戸時代前期から大阪で開催されていたいわゆる大阪勧進能は、シテ方以外の公儀御役者に認められていたと解題に記しています。

A・B資料の重複22件は年月・氏名等が一致している例はなく、月の前後するものが9件あり、1年ほどズレているものが13件もあります。別件との解釈もできますが、頻繁に登場するので重複と見なしました。この場合はA資料の年月で表示します。また、重複状況を次の記号で示しました。

*印=ABで重複、○=Bのみ、無印=Aのみ。また狂言方と分かるものは最後に「」を付けました。但し、狂言方とあっても、狂言だけの勧進能の場合が多いと思われますが、狂言方が主催者であって、内容には演能を含む興行も少なくないのかも知れません。

大阪の勧進能:初期4件
1674延宝2.4○鷺仁右衛門
1678同6.4○山田藤左衛門
1679同7.4○高井儀助
1680同8.4○松井喜?

大阪の勧進能:中期1/2 16件
1712正徳2.6/20 鷺伝右衛門
1740元文5.7/17 鷺?右衛門
1744寛保4.7/5 鷺伝右衛門
1745延享2 大蔵六蔵
1747延享4.12/27 葛野市郎兵衛
1751宝暦元.2/12 大蔵彌太夫
1751宝暦元.11/12 観世新九郎
1753宝暦3.3/7 春藤源七郎
1753宝暦3.10/2 金春三郎衛門
1754宝暦4.8/25 大蔵八右衛門
1755宝暦5.11/21 観世権八郎
1756宝暦6.9/12 大蔵彌太夫
1758宝暦8.2/21 大倉権三郎
1758宝暦8.10/14 高安三太郎
1760宝暦10.1/6 春日又三郎
1763宝暦13.9/18 威徳甚左衛門

大阪の勧進能:中期2/2 16件
1765明和2.11/27 貞光小八郎
1767明和4.1/25 清水助九郎
1767明和4.12/23 大蔵助右衛門
1768明和5.10 触流山田藤右衛門
1769明和6.11/21 高井儀助
1770明和7.10/13 触流松井喜左衛門
1771明和8.8*金春八左衛門
1773安永2.1/11*梅若孫七郎
1774同3.8○大蔵六蔵
1774安永3.4/13*福王茂右衛門
1774安永3.12/21 幸清次郎
1776同5.3○幸清次郎
1776安永5.12/16 高安三太郎
1777同6.3○高安三太郎
1778同7.3○日吉?右衛門
1778安永7.7/11*春藤六右衛門

大阪の勧進能:後期1/2 12件
1780安永9.3*一噌又三郎
1780安永9.11*触流山田嘉膳
1782同2.4○金春?右衛門
1782天明2.8/*高安彦太郎
1783天明3.11 大蔵貞吉
1784天明4.4 大蔵彌右衛門
1784天明4.12 大蔵彌右衛門
1785天明5.3*大蔵彌右衛門
1785天明5.9*清水助五郎
1787天明7.12/29 大蔵文次郎
1789寛政元.2*大倉千次郎
1793寛政5.9*大蔵八右衛門

大阪の勧進能:後期2/2 11件
1797寛政9.閏7 大蔵庄左衛門
1798寛政10.3*大蔵庄左衛門
1801享和元.7*観世辰吉
1805文化2.5*幸次郎
1809文化6.6*鷺仁右衛門
1814同11.8○大蔵長右衛門
1817文化14.9*触流松井喜右衛門
1821文政4.11*金春八左衛門
1826文政9.5*金春惣右衛門
1828文政11.2*大蔵八右衛門
1829文政12.5*威徳三郎四郎

大阪の勧進能:末期14件
1832天保3.4○一僧又六郎
1835同6.5○観世名代福王甚五郎
1836同7.4○山田藤左衛門
1838同9.4○春藤源七郎
1841天保12.閏1/8 喜多六平太
1841天保12.5/8 喜多六平太
1841天保12.10/15 喜多六平太
1842天保13.5/8 喜多六平太
1842天保13.6/10*金春惣次郎
1843天保14.3/25 鷺仁右衛門
1843天保14.4/20*鷺仁右衛門
1846弘化3.3/1 高安三太郎
1850嘉永3.8/29 大蔵千太郎
1854嘉永7.5 金春八左衛門

以上の一覧では1674~1854年で73回の勧進能を掲げています。但し、最初の5件は期間が離れているので、1740年からで見ると115年間で68回の興行となり、平均では1.6年に1回の頻度になります。前節の主な勧進能に倍する頻度となっています。

この68件の開催頻度をグラフで示しておきます。年号は寛延(1748~1751)期間が短く該当の勧進能がないので記載を省略しました。なお、開催日数は5~7日間興行と思われますが詳細は不明のため、日数グラフは省略しました。
開催年間隔をデータで見ると、1年に3回開催が2回、2回開催が12回もあります。毎年開催が19回、隔年開催が14回で、3年ごとの開催が7回、4年ぶりの開催が9回で、5年ぶりが2回あり、6年以上も間の空いた例はありません。前節の比較的大きな江戸中心の勧進能の間歇的状況と大きく異なっていることが分かります。また、グラフから大阪では江戸中期と後期の境界前後に非常に多く興行されていたことが分かります。

興行月は、AとBの資料で大きな差があります。A資料では59件中1件の月が不明で、11月が7回で一番多く、次いで3と12月に6回ずつで、4月が3回と少なく、他の月は4~5回となっています。年間を通して月による差が少なくなっており、大阪が温暖な気候なのかと思わせます。B資料では、36件の全部で月が分かっており、4月に19件と半数以上が集中し、さらに3月が9件、8月が7件で、ほかには5月に1件だけで、他の月には興行がありません。まるで定例行事を纏めたように見えます。

流儀等をグラフにすると次のとおりです。本節の前段で触れたように、五座系は少なく、狂言方・ツレ方・ワキ方・囃子ハヤシ方・触流フレナガシ狂言が並んでいるようです。グラフは先の一覧での件数順・50音順としました。
各流儀等について簡略に説明しておきます。但し、調べても分からない部分が多く、狂言方なのか、囃子方の何なのか不詳の部分が多く、可能性を記すこととします。古記録では勧進能の主催者・世話役を記している例もあるようです。

大蔵狂言9件:彌太夫・八右衛門・彌右衛門とあるので、現在に唯一、大和猿楽から繫がる狂言方と思われます。現在の狂言方二流体制では、大蔵流(山本家・茂山家を含む)は和泉流を凌ぐ勢力となっています。

鷺狂言7件:初期から末期まで仁右衛門・伝右衛門とあり、室町末期に大蔵・鷺・和泉の三流に分化した狂言方の一流です。江戸期には観世座付きで幕府直属として大蔵流とともに隆盛を極めましたが、1916大正5年には職分がいなくなり、現在は佐渡と山口に素人グループが活動しています。

山田狂言4件:古記録では触流フレナガシ山田藤左衛門狂言・山田嘉膳狂言などと記されています。触流は幕府と能役者との連絡役で松井家と山田家が世襲の大阪在住でした。

松井狂言3件:古記録で触流松井喜左衛門狂言・松井喜右衛門狂言などと記され、ており、初世喜左衛門は大倉(蔵)流狂言方でした。

大蔵9件:シテ方・小鼓方・大鼓方・狂言方の判別不詳。但し、中期の六蔵・末期の長右衛門とあるは小鼓方の大倉流と思われ、室町期の観世小次郎信光(1450-1516)の弟子・大蔵九郎能氏を流祖として現在に繫がる流儀となっています(江戸前期に「大倉」と改めている)。後期に床左衛門とあるは明治初期に廃絶となったシテ方(第6部-10大蔵流参照)と思われます。中期の助右衛門、後期の文次郎・庄左衛門、末期の千太郎とあるは不詳で、狂言方の可能性もあります。

金春8件:中期の三郎衛門とあるのは大鼓方と思われ、明治維新後に家芸は廃絶、分家筋も大正末期には断絶しています。中・後期に八左衛門とあるのはシテ方と思われ、金春権守ゴンノカミ・禅竹から現在に続く流儀となっています。後期に惣右衛門・末期に惣次郎とあるのは太鼓方と思われ、禅竹の叔父を流祖として現在も盛んな流儀となっています。

高安5件:三太郎・彦太郎とありワキ方と思われます。織豊期から続いていましたが明治初期1870年に中絶し、昭和初期1929年に再興しています。大鼓方ならば室町後期から続く流儀。

観世4件:中期の新九郎は小鼓方、末期の福王甚五郎はワキ方と思われ、中期の権八郎・後期の辰吉は不詳です。

喜多4件:幕末に六平太が4件あり、シテ方喜多流。(第7部-2を参照してください。)

コウ3件:中期に清次郎とあり現在に続く小鼓方幸清コウセイ流と思われる。後期に幸次郎とあるは不詳。江戸時代には大鼓方もありましたが明治維新で廃絶。

春藤3件:源七郎・六右衛門・六左衛門とあり、ワキ方流儀と思われます。室町後期から続いてきましたが1945昭和20年には廃絶しています。

一噌2件:又三郎・又六郎とあり笛方と思われます。江戸初期には一流と認められ、昭和の大戦で宗家が亡くなりましたが、現在に繋がる流儀となっています。

威徳2件:中期に甚左衛門・後期に三郎四郎とあり、大鼓方流儀と思われ、明治中期に廃絶しています。

大倉2件:中期に権三郎、後期に千次郎とありますが不詳。現在の大倉流は、小鼓方に権右衛門や長右衛門、大鼓方に七左衛門の名がありますが、関係は不詳。

清水2件:後期に助五郎とあり大鼓方の高安流と思われます。中期の助九郎は不詳。

高井2件:初期と中期に儀助とありますが不詳。

他に、記録が各1件の梅若・春日・葛野・貞光・日吉・福王がありますが、説明を省略します。

円グラフからは、狂言(4流)が全体の3割強を占めていることが分かります。これらの行事は狂言だけの興行ではなく、狂言方が主催者となって行われた勧進能の可能性が高いと思われます。それにしても、前節のグラフとは大きな違いがあります。5座系は散見されるだけで、大阪勧進能はシテ方以外が主催したり演能したりする行事で殆どが占められている特徴があります。

2025.6/5に第8部-3「江戸時代の勧進能(会場について)」を掲載します。番組や曲目についてはその後で展開する予定です。

引き続き第8部をご覧になる場合は「謡曲の統計8」から進んでください。

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