その他 第9部-3 能楽源流考の室町演能データ
2025-11-27
前節で能楽手帳と能楽源流考の演能記録の違いを見ましたが、ここでは能楽源流考データの詳細を紹介することとします。
能楽源流考の曲別演能状況の記載部分は、第3編—室町時代の猿楽/第11章—演能曲目考/1.演目調査資料及び2.演能曲目の年次対照表となります(1260~1315頁が該当)。1.では、演能年月日(旧暦)順の番号ごとに、行事主旨・会場・演者・曲名・古記録名が記されています。但し、主旨・会場・演者は不明の部分もあり、非現行曲も含まれています。一方で、曲目ごとに演者が記されている部分もあります。2.には曲目ごとの演能年月日番号が掲載されています。これを丁寧に見れば。曲目ごとの演能年月日を知ることができます。
能楽源流考は能楽大辞典(2012筑摩書房刊)の能勢朝治の項で、膨大な史料を駆使して能楽研究を飛躍的に前進させた大著で今日なお能楽研究の基本文献として活用されている、と記されています。前節で取り上げた「能楽手帳」は2019年刊で、殆どの曲の室町期曲別演能回数を源流考から参照していることを示しました。このことから能楽源流考は現在時点で他に求められないデータを提供している唯一の資料であると言えるでしょう。
ここで能楽源流考から読み取った室町・織豊期の演能件数と番数をグラフで示します。(グラフ中の時代別の年記が誤っていたので2025.12/3に訂正しました。)

室町時代を、歴史的に南北朝合一から信長による足利義昭将軍の追放=室町幕府滅亡までとすれば1392~1573の182年間となり、織豊時代を徳川家康将軍宣下までとすれば、1573~1603の31年間となります。
能楽源流考の演能記録期間は永享元年5月3日(永享は旧暦9月5日から始まるので、永享元年5月は永享2年が正しいと思われ、グレゴリオ暦1430.6/2に相当)~慶長7年12月13日(1603.1.24)の173年間となっており、室町初期38年間のデータがありません。
この期間は観阿弥(1333~1384)が没して世阿弥(1333~1443)が大活躍した期間であり、演能記録が大幅に洩れているようです。
また、源流考のデータからは室町中期までは演能記録が極端に少なく、1532年の天文年間から急増し、織豊期はさらに増えているのが分かります。また、時代の変わり目の1570年代がやや減少して、1590年代が前の10年の3倍以上に増加しています。なお、最後の1600年代は1603年1月までで、1601年は1件7番のみの記録となっていて、グラフの最後が演能の少ない表示になっています。
次にこの演能記録データ数値を表で示しておきます。室町時代を前期・中期・後期に3分割するならば、1453年と1513年がその境界となりますが、演能記録状況から中期の始まりを24年早め、終りを18年遅らせて中期の期間を大きく広げて区分しました。これは、中期の始まりを源流考で記録始期の1430年とし、記録の激増する天文年間の1532年以後を後期とした結果です。

演能記録の全体は174年間・393件・2909番で、年間平均では2.3件・16.7番であり、1日あたりの番数は7番強となっています。(番数には翁を除き非現行曲を含んでいます。)
表では、記録期間の6割にあたる102年間が中期で、後期と織豊期が41年と31年の約2割ずつになっているのに対し、演能記録件数(日数)と演能番数は、中期が1割で、後期が4割、織豊が5割を占めています。期間によって演能頻度に大きな差のあることを示しています。
年間平均で見ると、件数・番数とも後期は中期の10倍であり、織豊はさらに1.6倍に増加しています。但し、1日あたりの番数は7番前後で期間による差は少ないことが分かります。中期の記録の少なさは、演能が無かったのではなく、記録の散佚や捕捉の不徹底が原因であり、600年前のことですから、今からこれを収集するのは困難と思われます。逆に織豊期の件数・番数が激増しているのは、下間少進の能之留帳による記録増大が原因となっています。(下間少進については、次節で紹介することとします。)
次回は2025.12/15に第9部-4「室町・織豊期の演能状況」を掲載する予定です。
引き続き第9部をご覧になる場合は「謡曲の統計9」から進んでください。