江戸時代の演能状況は第6~8部で見たところですが、他の時代と合わせて曲別一覧表で示すために、再検討しておきます。
既に掲げた江戸時代のデータは延12246番あり、内訳は次の通りでした。
①将軍期別:第6部-5で示した初期としての4760番と、第6部-17~19に中後期として6037番
②将軍宣下祝賀能:第6部-10で400番
③勧進能:8部-5~8で1049番
上の3種の元データで重複がないかを照合した結果、②将軍宣下祝賀能では4~8代の5代分136番が、③勧進能では20件のうち1646年以降の14件分850番が①に反映されておらず、計986番を加えることとします。(キリが祝言○○の場合、半能又は単なる附祝言謡なのか判別が困難のため、それぞれ1曲の能として数え、更に非現行曲を除いています。)
次に、演能データと時代区分の状況を見ておきます。
先ず、江戸時代の始まりは家康征夷大将軍任命の1603年とされていますが、第6部-5の将軍期別データは織豊期の1590年からとなっており、織豊期の半期以上を占める13年間を含んでいます。この秀吉影響下の部分は前節の織豊期と重複している部分が多いと思われますが、これを峻別する作業は困難なので江戸初期に取り込んだままとします。
次に、将軍宣下祝賀能の加算分は、江戸中期に該当する部分のあることを示しておきます。江戸時代を明治改元1868年までの265年間として、初期・中期・後期に3分割するならば、1691年と1780年がその境界となります。これに対し、5代綱吉1681~8代吉宗1716の祝賀能118番は江戸前半期に位置しますが初期からは外れています。しかし、江戸中期の将軍期別データは大きく欠損しており別項を立てて表にするのはあまり意味がありません。そこで、このデータを無視するよりは初期に取り込んで表にすることとします。なお、第6部-5の将軍期別データの江戸初期は1668年までとなっており、全体が初期区分に入っていることが確認できます。
また、勧進能のデータでは全20件がありますが、1646年以降で元禄15年1702までの3件・109番を上と同様の理由で初期に取り込み、寛延3年1750以降の11件・741番は江戸中後期として把握することとます。
最後にこれから示す一覧表での、江戸時代の時期区分を検討しておきます。既に紹介したように、将軍期別の元データは、1669~1720年の演能記録が欠けており、江戸を3区分する方法では上手く纏めることが出来ません。この際、初期と中後期に分けて示すこととします。
ここで、江戸後半期は計算上1736年以降となりますが、8代吉宗期の演能記録は1721~1745年であり、この25年間のうち初めの15年間は江戸前期に位置しますが、後代のデータが連続しており、中期の区分を省略する関係から中後期として掲げることとします。
次に明治期の演能データを見ておきます。
明治期の曲別演能回数は第8部-125でも紹介した「能楽盛衰記」の下巻(東京の能:池内信嘉著・1926大正15初版・1992平成4復刻増補版・東京創元社・解題等西野春雄)を参照します。
下巻は明治維新によって危機に瀕した能界の復活などを詳細に記しており、当時の状況を知る第一級資料と思われます。興味深い内容に満ちていますが、ここでは曲別演能回数を追求する観点からの紹介にとどめます。
本書には第五「能楽堂」編の最後に「芝能楽堂演能及び狂言統計」(122~175頁)を載せています。これは、明治15年1月~同30年10月の15年10ヶ月間の芝能楽堂での演能記録として、曲名いろは順・演能年月日・主演者名を記しています。能楽社の事務員で能楽堂看守人でもあった石渡繁三の手になると記されています。
この統計を数え上げると1163番(非現行曲を除く)になります。また、統計欄以外の記述で番組紹介の頁もあり、早くは江戸末期の1817文化14年から、最後は1917大正6年にまで及んでいます。これらの演能番数を期間別の表にすると次のとおりです。(文化14年の20番は除きました。)




