その他 第10部-3 織豊・江戸期の曲別演能回数分布グラフ等
2026-10-01
前節の室町後期に続き、曲別演能回数の分布グラフを示します。
次のグラフは織豊期(1574~1603:28.1年間)で、3回括りにしたグラフです。15位までの曲名を入れました。

織豊期の演能記録は、第9部-4で詳説したように、下間シモツマ少進の「能之留帳」によるものが殆どであり、少進の好みが強く影響して、他の時代と全く異なる曲別回数の分布となっています。曲数も翁を除くと121曲しかありません。演能は1405回(番)を記録しています。分布を見ると、最下位グループの1~3回グループの曲がずば抜けて多く39曲もあります。その上の4~6回グループは15曲しかありません。上位5曲は40~48回演で熊野・源氏供養・高砂・山姥・呉服となっており、トップグループに源氏供養が入り、他の時代では見られない選曲となっています。
①熊野:第10部-1の⑥を参照下さい。
②源氏供養:源氏物語の作者・紫式部を供養する3番目曲(本鬘マゲ物)。平安末期から室町時代では、源氏物語を狂言綺語キョウゲンキギョ(=作り話)とし、作者は妄語戒(嘘をつく)の罪に当り、また主人公の光源氏を供養しなかった罪から地獄に堕ちたと理解されていました。石山寺に参拝した安居院アゴイの法印から弔いを受けた式部は、物語の巻名を織り込んだ「源氏物語表白ヒョウハク」を読んで舞い、源氏も式部も成仏します。実は、式部は石山観世音の化現ケゲンであり、物語はこの世が諸行無常であることを人々に知らせる方便だったとしています。
源氏供養は1464以前成立・作者不詳。平成の30年間で142回演能=94位。
③高砂:第10部-1の④を参照下さい。
④山姥:5番目物の鬼女物。山姥とは得体の知れない恐ろしい女の鬼を想像しますが、曲中では人が近寄れない深山幽谷に住み、仏法の真理を体現し善悪正邪を超越して、誰にも知られずに人を助けたりする超能力者となっています。文学や芸能も仏の教えを讃タタえる縁になると説きながら舞い、山々の彼方へ飛んで消えて行きます。場面展開や謡ウタイに緩急変化があり、自然の神秘と、難解な禅思想を展開するなどから習い物曲とされて、世阿弥晩年の傑作となっています。
山姥は1423以前成立・世阿弥作。平成の30年間で364回演能=34位
⑤呉服:第10部-2室町後期③を参照下さい。
次は江戸初期(1590~1668:77.4年間)のグラフです。10回括りとなっています。曲名は12位までです。

江戸初期の全4612回・166曲の分布です。高砂がずば抜けて多く演じられ、他の上位曲も疎マバらであり、下位に多くの曲が集中しています。上位は181~190回が高砂、131~140回で猩々、111~120回で船弁慶、101~110回が4位の賀茂となり、91~100回に自然居士・道成寺・田村・三輪と続いています。この4曲は回数グループで中央に位置しますが、ここまでで8曲しか該当していません。さらに、大多数の曲は高砂の半分以下の回数しか演じられていません。最下位の1~10回に71曲も集まっています。
①高砂:第10部-1の④を参照下さい。
②猩々:第10部-1の②を参照下さい。
③船弁慶:第10部-1の③を参照下さい。
④賀茂:初番目(荒神物)祝言能。前場では、流れて来た白羽の矢から生まれたのが上賀茂社の祭神となった別雷ワケイカヅチノ神であるなどと、賀茂社の縁起を爽やかな初夏の賀茂川を背景にして説かれます。後場では、その別雷神が現れて御代ミヨを賛美し、雷鳴を轟トドロかして雨を降らせ、五穀豊穣を予祝します。
賀茂は1470年以前成立・禅竹作。平成の30年間で231回演能=59位
⑤自然居士:第10部-2室町中期④を参照下さい。
次は江戸中後期(1721~1862:141.1年間)のグラフです。7回刻みで、11位までの曲名を入れました。

江戸中後期では徳川5代綱吉・6代家宣将軍の希曲好みの影響から61曲も増大し、全227曲・6294回のグラフになっています。グラフの形は江戸初期と同じですが、選曲に大きな変化が見られます。初期では高砂が断然トップでしたが、中後期では猩々が1位(141~147回グループ)で、田村が2位(120~126回グループ)に入り、高砂は3位(113~119回グループ)となっています。次のグループが106~112回の箙・屋島・道成寺で、さらに99~105回の羽衣・道成寺が続いています。以下92~98回と85~105回のグループには該当曲がなく、78~84回に賀茂・忠度・石橋・船弁慶の4曲が並んでいます。また、最下位グループの1~7回グループと、その上位となる8~14回グループの曲数がほぼ同じ46・45曲となっているのは、他の時代で見られない分布です。(曲の要略は6位までとします。)
①猩々:第10部第-1の②を参照してください。
②田村:屋島・箙と並ぶ勝修羅能の一つですが、源平の武将をシテとしない唯一の曲で、修羅の暗さなどがなく、強く明るい祝言性を持った能になっています。春爛漫の清水寺を舞台に、坂上サカノウエノ田村麿タムラマルによる創建の由来、桜の名所、鈴鹿山の悪魔退治など、田村麿の功績などが語られ、観音の慈悲・加護・仏力を賛美する曲となっています。謡曲初心者の稽古順で急に難しい曲となって「縁切り田村」と言われたりしています。
田村は1425年以前成立で、世阿弥作と思われますが、禅竹作とする説もあります。平成の30年間で379回演能=30位。
③高砂:第10部第-1の④を参照してください。
④箙エビラ:田村・屋島と並ぶ勝修羅能の一つです。源平合戦で箙(矢を入れる武具)に一枝の梅花を挿して戦って名をあげた源氏方の梶原カジワラ景季カゲスエの活躍を描き、修羅の苦悩から僧の回向を願って終曲となります。風雅な若武者の奮戦ぶりが魅力となっています。
箙は1425年以前成立で、世阿弥又はその周辺の作。平成の30年間で86回演能=117位。(現代でやや振るわないのは、構成がやや単純なことと、平家物語などで景季の父・景時カゲトキが義経に対する悪役となっていることなどが影響しているようです。)
⑤屋島:第10部-2室町中期③を参照してください。
⑥道成寺:女の恨みの恐ろしさを描いた曲です。再興された鐘カネの供養の日に白拍子が舞ううち、鐘の中に入って鐘を落とします。地響きに驚いた僧達は恐ろしい昔話をします。それは宿坊の娘が山伏に裏切られたと思い込み、鐘の中に隠れた山伏を焼き殺したというものでした。女の執念を恐れた僧たちが懸命に祈ると、蛇体に変身した鬼女が現れ、一進一退の争いの後、鬼女は日高川へ逃げ去ります。見せ場が連続する重い習い物の曲となっており、能楽師の登竜門に位置付けられています。江戸中期で歌舞伎に取り入れられるなど、後世に大きな影響を与えた曲です。第4部-12に詳しい解説を載せてあります。
道成寺は1516以前成立。作者不詳の鐘巻に、観世信光又は金春宗筠が乱拍子を加えて改作したと思われます。平成の30年間で376回演能=32位。
次回は、2026.10/15に第10部-4「明治~平成の曲別演能回数分布グラフ等」を掲載する予定です。
引き続き第10部をご覧になる場合は「謡曲の統計10」から進んでください。