その他 第10部-4 明治~平成の曲別演能回数分布グラフ等
2026-10-15
次は、江戸時代に続く明治期(1882~1897+α:20年間)の演能回数分布グラフです。3回括りのグループ分けで、13位までの曲名を入れました。

明治維新で幕府や大名などに支えられた能楽界が壊滅し、苦難の末に復活した明治期のグラフです。曲数は204曲まで復し20年間で1409回(番)を記録しました。全体としてこれまでのグラフと同じ形となっています。3回括りのグループ化で、19~21回が中央付近の位置にあたり、そこで10~13位の曲が4曲該当して、ここまでで上位13曲となります。1位は43~45回の鉢木で、以下望月・猩々・船弁慶と続き、28~30回で石橋シャッキョウ・土蜘蛛の5・6位となっています。これらの曲の要略は次の通りです。
①鉢木:鎌倉の執権(シッケン≒将軍・最明寺サイミョウジ時頼)が全軍招集を命ずると、落ちぶれた田舎武者も駆け付けます。それこそ雪深い上野コウズケノ国佐野で宿を貸し、粟飯アワイイでもてなし、暖をとるために秘蔵の鉢の木を焚いてくれた佐野源左衛門常世ツネヨでした。常世には本領安堵と梅桜松に因む3ヶ所の領地が与えられました。旅人への老夫婦の気遣い、武士の矜持キョウジが描かれ、「イザ鎌倉」の手本のような曲となっています。時頼の諸国行脚は水戸黄門の先駆け?。江戸初期では宝生流のみ上演し、他は江戸後期(金春は明治)から。習い物曲となっています。
鉢木は1524以前成立・作者不詳。平成の30年間で223回演能=61位。
②望月:芸を繰り出しながら敵カタキ討ちを果たす劇的展開の能。望月に夫を討たれた妻子が信濃から身を守るために近江へ旅に出ると、偶然にも元家臣の友房が営む旅宿に着きます。そこへ更なる偶然で敵の望月が泊まり合わせます。妻子と元家臣は敵討ちの策を巡らし、妻は盲御前ゴゼとなって曾我兄弟の物語を謡って舞い、子の花若は八撥ヤツバチを打ち、友房は獅子舞を舞って、首尾よく酒に酔った望月を打ち取ります。武士を廃した明治期で敵討ちを主題とした曲であり、元家臣の忠義にも焦点の当たる曲が2位に入っているのが注目されます。舞扇を2面使った特殊な獅子の扮装は見物です。江戸前期では喜多流のみの上演で、他は江戸後期(但し金春は明治)から。重い習い物の曲となっています。
望月は1573年以前成立で、作者不詳ですが、越前の飛大夫または日吉佐阿弥作とする説があります。平成の30年間で221回演能=62位。
③猩々:第10部-1②を参照してください。
④船弁慶:第10部-1③を参照してください。
⑤石橋:獅子舞を見せる本祝言物(5番目物)。文殊モンジュ菩薩の浄土・清涼山ショウリョウセンへ行くには、千丈の深さの谷に架かる石橋(苔が生えて幅1尺足らずで長さは3丈余り)を渡らねばならない。難行苦行捨身の行を積まないと渡れないという。橋を渡れずにいる天台僧の寂昭ジャクジョウ(=大江定基オオエノサダモト)の前に、文殊に仕える獅子が現れて豪壮な舞を見せて帰っていく。音阿弥が室町前期の1465年に演じた以後は極めて稀となり、江戸前期で喜多流が再興し、やがて観世・宝生が続き、金剛は江戸後期から、金春流は幕末からの上演となっています。演出に大きな幅があり、「大獅子」の小書では紅白や親子など複数の獅子を登場させたり、アイ(狂言)の形態・囃子事などにも変化の多い曲となっています。催しの最後に目出度く獅子舞を演じる半能(後場のみ)とする場合が多い。
石橋は1430以前成立・作者不詳。平成の30年間で554回演能=12位。
⑥土蜘蛛:舞台全体に蜘蛛クモの糸が投げ広げられる鬼退治能(5番目)。中世の武勇で名高い源頼光が病床で伏している枕元に、土蜘蛛の精が現れるが名刀の膝丸(後の蜘蛛切)で切りつけられて退散する。頼光の従者の独ヒトリ武者達は血痕を辿って蜘蛛の栖スミカを見つけ、糸を繰り出して抵抗する蜘蛛を切り伏せて凱旋します。随所に「大君の国」「神国王地」等が説かれ、当代の平安を願っています。土蜘蛛は古代における異民族の異称の名残でもあります。江戸前期で金春・金剛・喜多流が上演し、観世・宝生は江戸後期から。
土蜘蛛は1594年以前成立・作者不詳。平成の30年間で564回演能=11位。
次は昭和中後期(1950~1989:40年間)のグラフです。50回括りで、12位までの曲名を入れました。

演能記録調査対象が昭和では観世流のみ(平成も同様)なので、翁を除き全体で207曲・40年間・43890回(番)のグラフになります。これまでと形は変わらず上位はマバラ、下位は密集状態となっています。1001~1050回の羽衣が断然1位で、葵上・船弁慶・清経と続き、5位が701~750回の安達原となっています。最下位グループの1~50回は60曲も該当し、51~100回は34曲です。
①羽衣:第10部-1⑦を参照してください。
②葵上:源氏物語を資材として女の恨みの恐ろしさを描く鬼女物。光源氏の正妻・葵上は物ノ怪ケに悩まされて病床にあり、舞台に置かれた小袖の着物で表されています。照日の巫女ミコが呼び出されて梓アズサの弓を鳴らすと、破れ車で六条御息所ミヤスドコロ(源氏の元恋人)の生霊イキリョウが現れ、賀茂祭での車争いなどの恨みを述べ、小袖を打ち叩いて(後妻ウワナリ打ち)幽界へ連れ去ろうとします。横川ヨカワノ小聖コヒジリが招かれて祈祷キトウすると、鬼(般若ハンニャ)となった御息所は激しく抵抗しますが、祈り伏せられて成仏します。誇り高い御息所の嫉妬の激情を丁寧に描いています。源氏物語の巻名を多く組み込んでいますが、能の詞章に物語からの引用はありません。能の海外公演で多用される人気曲となっています。
葵上は1413年以前成立・作者不詳(申楽談義に近江猿楽の犬王が演じたとあり犬王作かも。世阿弥作ではなさそう。) 平成の30年間で941回演能=2位。
③清経:戦争に巻き込まれ敗戦を覚悟して自殺した武将と、その妻の葛藤を丁寧に描く負修羅能。平清経タイラノキヨツネは戦の前途を悲観して豊前ブゼンノ国・柳ヶ浦で入水自殺しました。家臣の淡津三郎は遺髪を都へ持ち帰りますが、妻は自殺したことを恨み、形見を返して床に臥してしまいます。夢中に清経の霊が現れ、形見を返したことを責め、平家が神仏に見放され、海上に漂う船上で笛を吹いて入水した様子を語ります。世の無常を悟り念仏の功力で修羅道の苦しみを逃れて成仏できたと告げて消えていきます。「恋之音取」の小書では、長い休止の入った笛の独奏で、清経の霊が立ち止まりつつ登場し、妻への想いや、どうしようもなく死に臨む気持ちを見事に表現しています。清経は清盛の孫で禁中警護の中将でした。
清経は1423年以前成立・世阿弥作。平成の30年間で688回演能=5位。
④安達原:鬼女物。山伏修行で陸奥ミチノクの安達原に着いた裕慶ユウケイたちは、女一人で住む粗末な庵に泊めて貰います。女は糸を繰ったりして見せ、やがて裏山に薪を取りに行っている間、閨ネヤの内を見るなと言い残して外へ出て行きます。従者がコッソリ閨を覗くと、人の死骸が夥しく積まれていました。裕慶たちが逃げ出すと、女は見るなの約束を破ったことを責め、鬼女となって襲ってきますが、懸命な祈りで退散させます。糸を繰りながら悔恨と懺悔ザンゲを示したりするのは、人喰い女の鬼には似合わず、シテは生まれながらの鬼なのか、人として生まれて鬼女となったのかは観客の判断に任されているようです。
安達原は演能記録初見が音阿弥の1465年で作者不詳。平成の30年間で741回演能=4位。
⑤猩々:第10部-1②を参照してください。
演能回数分布グラフの最後は、平成期(1990~2019:30年間)です。11位までの曲名を入れました。

平成の30年間で207曲・36876回(番)のグラフですが、羽衣が飛び抜けて多く1146回も演能され、1141~1200回グループとなっています。以下3つのグループに該当曲がなく、901~960回グループに葵上と船弁慶が入っています。次の2つのグループに該当がなく、721~780回に安達原、661~720回に清経となって、ここまでで上位5位曲になります。データからは、羽衣の演能回数の1/2=573回以上の曲は、土蜘蛛の564回以上で10曲しかありません。他は凡て羽衣の半分の回数の演能となっています。これまで同様に最下位グループの1~60回に79曲も集まっています。その上位の61~120回グループは29曲と激減しています。
上位5曲の要略は、既に記した曲ばかりで次の通りです。
①羽衣:第10部-1⑦を参照してください。
②葵上:前出。
③船弁慶:第10部-1③を参照してください。
④安達原:前出。
⑤清経:前出。
参)各グラフの回数括りは、その時代の最多演能回数をほぼ20等分して括っています。棒グラフを20本ほどで示すためです。
以上で室町~平成8期の曲別演能回数分布グラフを掲げましたが、上位グループの曲数は限られ、最下位グループに多くの曲が集まっているのは、どの時代でも共通していることが分かりました。これらを踏まえ、時代を超えて公平に演能回数を比較評価する方法を探ることとします。
次回は、2026.11/1に第10部-5「時代別演能回数評価方法」を掲載する予定です。
引き続き第10部をご覧になる場合は「謡曲の統計10」から進んでください。