その他 「能楽」外縁観測第2部-5 能作者の活躍時代
2021-04-29
能の成立には諸説がありますが、平安期(794~1185年)から流行した田楽がその先行芸であったことに異論はないようです。(さらに遡って奈良時代=710~794年の伎楽や散楽を源流とする説もあります。)
能は猿楽や申楽とも呼称され、物語性を持った演劇形式を取り入れたことで、田楽と区別されて発展を遂げました。(逆に田楽は室町期で衰退しました。)
劇形式猿楽の最古記録は、竹本幹夫(2009年「風姿花伝・三道」角川文庫)によれば、南北朝前期の1349年春日若宮臨時祭の記録となっています。今から670年以上も昔のことです。
また、これより早く、鎌倉後期の1283年には複数で演じた「群猿楽」(同社臨時祭)、1310年には田楽が猿楽形式を取り入れて演じた記録(延慶三年記:興福寺宝積院)もあり、1349年以前に劇形式の猿楽が成立し、その出し物を田楽が取り入れた、などの可能性もあると指摘しています。
まず、観阿弥と世阿弥の生没年等を見てみます。
観阿弥は、鎌倉幕府滅亡の1333年に生まれ、南北朝末期の1384年に52才で亡くなっています。外縁観測では現行曲のうち4曲作と見ています。
世阿弥は、南北朝中期の1363年頃に生まれ、室町前期の1443年頃に81才で亡くなっています。現行曲の66曲を作っています。
先にあげた猿楽最古演出の年は、観阿弥が17才の時で、その14年後に世阿弥が誕生したことになります。世阿弥が22才のときに父の観阿弥が亡くなり、世阿弥は若くして観世大夫を継いで、多くの能を作り精緻な能楽論を記述して「能の大成者」となりました。
世阿弥没から24年後の1467年に応仁の乱が起こり、日本は100年以上も続く戦乱期を迎えます。
そこで、室町期(1392~1573年)の能作者が活躍した時代のグラフを示します。既に見たように、現行全248曲の85%、212曲以上がこの期間に作成されています。
生没年を棒グラフで表現しました。生没年不詳者については、活躍時期から想定したものです。

グラフ記載の世阿弥・観阿弥以外の作者概要は次のとおりです。現行248曲のうちの作数(推定を含む)を記しました。(作者別の曲名は別途に掲載します。)
観世元雅:生年不詳~1432年没。
世阿弥嫡男。十郎・元次とも。嫡男の十郎と越智観世を起こすが断絶。(後に越智観世は、観世6世元広の長男の駿河十郎大夫によって再興される。)「隅田川」等の作者。33才頃に客死。7曲作。
音阿弥:1398~1467年。
世阿弥の甥。観世3世。天下無双・神変不可思議の達者と評された。能作はなし。
観世信光(のぶみつ):1450~1516年。
小次郎とも。音阿弥の七男。「船弁慶」等の作者。17曲作。
観世長俊(ながとし):1488~1541年。
弥次郎とも。信光嫡男。「正尊」等の作者。室町期で最後の能作者。5曲作。
金春権守(ごんのかみ):
生没年不詳。禅竹祖父。実質金春流祖。1曲作。
金剛権守:生没年不詳。
大和猿楽坂戸座棟梁。1曲作。
(権守とは、鎌倉中期に興福寺等が猿楽座の統率者等に与えた称号。)
金春禅竹:1405~1470年。
貫氏・氏信とも。金春57世。世阿弥の娘婿(むすめむこ)。世阿弥から各種伝書を与えられた。「野宮」等の作者。「明宿集」等著述。27曲作。
金春禅鳳(ぜんぽう):
1454生~没年不詳。八郎・元安とも。禅竹孫。「嵐山」等の作者。5曲作。
喜阿弥:生没年不詳。
亀阿弥とも。奈良が本拠の田楽新座の名手。世阿弥が音曲(作曲)の師と評した。「松風」の原曲「汐汲」の作曲者。2曲作・2曲作詞。
犬王:生年不詳~1413年。
道阿弥とも。近江猿楽日吉(ひえ)座代表。天女の舞などに優れ、世阿弥に歌舞中心・幽玄能へと大きな影響を与えた。「兼平」作者。
宮増:生没年不詳。詳細不明。
複数世代人説あり。筋の起伏・場面転換など大衆劇的で、その作風は信光や長俊に影響を与えた。11曲作。
増阿弥:生没年不詳。
喜阿弥後継者。世阿弥が寂びた芸を評価。能面「増(ぞう)」の作者。尺八の名手。「須磨源氏」原作。
榎並左衛門五郎:
生没年不詳。摂津猿楽新座の役者。「鵜飼」原作者。榎並座は室町中期に金春座に吸収された。「鵜飼・柏崎・松山鏡」3曲原作。
内藤藤左衛門:
生没年不詳。丹後・備前の武士か。「俊成忠度・半蔀」2曲作。
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