ブログ

その他 「能楽」外縁観測 第2部-7 作者考の難しさ

2021-05-24

 実は、能の作者を曲別に確定・選定することは、非常に困難な作業となります。これまで見てきたように、世阿弥は600年以上も昔に活躍し、現行曲のほとんどが室町期に作られています。もちろん著作権などはなく、更に、戦国時代の混乱等で文献等も散佚しているからです。結果として多くの曲が作者不明・不詳となっています。

 作者考が困難な理由は、資料不足の他にもあります。能を作るときは、先行芸であった田楽の舞などを取り入れていました。いわば一曲の聞かせどころ・見せどころを借用しながら、一曲を作っているのです。
 また、観阿弥の作品を世阿弥が改作したように、原作と改作の問題があります。これらの場合、どちらを作者とするかは、現在の能楽研究者の間でも異論のある曲が少なくないのです。原作を改作して評価を一新する良い曲になったと解釈するか、元々優れた原作に手を少し加えただけと解釈するかで、結論が変わってしまいます。

 具体的に作者考の難しさを、「百万」と「松風」2曲を例にして見てみます。1987=昭和62年刊 岩波講座「能・狂言」能の作品と作者>能本の概観:横道満里雄担当、から紹介します。

 親子再会の狂女物として名高い現行曲「百万」は、次のような過程を経て作られたようです。①最初に観阿弥が「嵯峨物狂」を演じましたが、作詞者は不明で観阿弥が作曲したと想像されます。②観阿弥はさらに、既にあった山本某作詞・南阿弥作曲の「地獄の曲舞(くせまい)」を取り入れて、旧「百万」に改作しました。③世阿弥はこの旧「百万」から「地獄の曲舞」を除き、自ら新しく作った「百万の曲舞」を入れて、幽玄な現行「百万」に仕上げたようです。なお、「地獄の曲舞」は、観世元雅作の「歌占」に取り入れられて現行曲で活かされています。

 秋の名曲「松風」の作者は、次のようになっています。①始めに、作詞者不明・喜阿弥所演&作曲の「汐汲」と、作詞作曲ともに不明の「藤栄」があり、②観阿弥が「汐汲」に「藤栄」のロンギ(能の小段の名称)を取り入れて、「松風村雨」を作りました。③世阿弥は松風専用のクセ(能の小段の名称)を作詞作曲し、父観阿弥の「松風村雨」を改作しました。④この曲名が江戸初期になって変更されて現行の「松風」となっています。なお、観世以外で現行曲の「藤栄」には、ロンギがなく、作者不明の「船の曲舞」が取り入れられており、その改作者は不明となっています。

次の項目など、引き続き「能楽外縁観測第2部」をご覧になる場合は「謡曲の統計2」から進んで下さい。

受付時間

通年 AM9:00~PM5:00